ガースナーは、マッキンゼー、アメリカン・エキスプレス、RJRナビスコ会長兼CEOを経て、1993年に倒産の瀬戸際にあったIBMにCEOとして就任した。これをIBMの側から見れば、はじめて外部から登用されたトップ、つまり“素人”ということになる。
IBMはオープン化とダウンサイジングという、コンピュータ業界の環境変化に乗り遅れ、シリコンバレーを中心とした西海岸の起業家たちに、事業領域を侵略されていた。その結果、1991~93年にかけて累積で1兆5千億円を超える赤字を計上することになる。IBMは経営環境が根本的に変わる中で、新しい戦い方を習得できていなかったのである。
クラウドの時代を予測し
IBM復活を可能にした
ガースナーはこうした環境変化の背景にある力を見極め、その先に続く業界全体の将来像を解明した。それが現在、我々が「クラウドの時代」と呼ぶ世界観である。それを解明したことが、IBMの復活を可能にした。つまり、玄人であるが故に見えなかった世界、あるいは見たくなかった世界を、素人のガースナーが解明したのである。ガースナーが当時考えていたことの多くは、実際これまでに実現してきている。
モバイル端末の普及によりパソコンの売上が下がり出す、クラウドの活用が商取引や人の関わり方を変える、企業が水や電力を買うのと同じように情報サービスを買うようになる、国家の利益と市民の利益が衝突する時代が来るなどだ。いや、スティーブ・ジョブズと同じように、「未来を自ら創りだす」ことによって、自らの予測を実現したといえるのかもしれない。
こうした新しい業界構造は、アップルやグーグルの台頭を促し、日本のエレクトロニクスメーカーに苦境をもたらすことになった。また、アマゾンのようなECサイトや、LINEのようなアプリの普及により、小売業や電話会社などにも大きな変化をもたらしつつある。
ガースナーはIBMの再生に当たって、ふたつの大きな賭けに出た。ひとつは業界全体の方向性に関する賭けであり、もうひとつはIBM自身の戦略に関する賭けだ。
前者については、先ほど述べたクラウド・コンピューティングの台頭である。あらゆる機器が端末としてネットワークにつながる。そして、クラウド(雲)の向こう側にある強力なコンピュータや、多様なソフトウェアを自由に利用できるようになる。その結果、端末の価値は低下する一方、データをやり取りするネットワークの価値が高まる。