少子高齢化、低迷する起業率、与党一強体制の政界…国民的アイドルグループが事務所からの独立に失敗するくらい、今の日本社会にはダイナミズムが失われてしまったのか。しかし「出る杭は打たれる」世にあっても、あえて困難な道を選び、信念を貫き、理想を実現する“アウトサイダー”がいる。既成概念を破壊し、新しいシステムを創出してきたのも、間切れもない事実だ。この連載は、大手銀行から独立し一代でタリーズコーヒージャパンを創業・上場、そして現在はベンチャー政党を率いる松田公太氏が日本社会に新風を吹かせるアウトサイダーを訪ね歩き、ダイナミズムを取り戻すための方策を語り尽くす。第1回のゲストは、LINE社長を退任後、新たに動画事業のベンチャー「C CHANNEL」を起業した森川亮さん。(撮影/武藤裕也)
実力よりお金をもらうのが不安
「ここにいてはダメ」という感覚
松田 初めてお会いしたのは5年ほど前でしたね。当時急成長中だったLINEの社長が筑波大の先輩と知って、勝手に親近感を覚えていました。学年は私の1つ上ですよね。
森川 もしかしたらすれ違っていたかもしれませんね。
松田 当時の筑波大の周囲はすごくのどかで、冗談抜きで夜に自転車で移動したら遭難してしまうんじゃないかと思いました。遊ぶところは本当になかったです。
森川 まさに未開の地(笑)。初めて行った時、道がわからなくて交番の場所を地元の人に聞いたら「筑波には交番はなくて警察署しかないよ」と言われてしまいました。
松田 森川さんは新卒で日本テレビに入られましたが、当時の筑波から民放入社は珍しいですよね。NHKは僕の親しい同期を含めて何人かいましたが。
森川 体育専門群の卒業生はいるんですが、情報学群からは初めてでした。音楽番組を担当したくて入社したら、システム部門に配属されたのは辛かった。
松田 情報の専攻だけに、そうなりますよね。でも、日テレなんてお給料もサラリーマンではトップクラス。そのまま最後まで勤め上げる人が普通でしょう。なんでまた、ソニーに行くという思い切った行動をされたんですか。
森川 新規事業の担当だったのですが、テレビ局は、番組を作るのが好きなクリエイター集団であるものの、新しい挑戦をすることに積極的ではなかった。もう一つは時代背景。当時(2000年)、デジタル革命が起き、インターネットや衛星放送が台頭してきて、伸びない会社にいるよりも、伸びる領域を自分で作りたいと思ったんです。
松田 でも、その頃はテレビ局もまだまだ元気でした。お給料もいいし、女性にもモテる(笑)。それでも辞める決断の一番の決め手はなんだったんですか?