燃費偽装問題に揺れる三菱自動車。2000、04年の相次ぐリコール(回収・無償修理)隠し問題で経営危機に陥った際には、三菱グループの全面支援を受けて再建を果たした。あの当時、どんなことが起きていたのか。内部資料や関係者の証言から振り返る。(週刊ダイヤモンド2016年1月30日号特集「三菱最強伝説」の記事を加筆・修正)
「あのとき、スリーダイヤは完全に地に落ち、もう持たないと思った」
2000年に発覚した三菱自動車のリコール隠し事件。当時を知る「金曜会」メンバー企業の元幹部は振り返る。
金曜会とは三菱グループの中枢機関といえる存在である。三菱グループ29社の会長、社長がメンバーに名を連ね、毎月第2金曜日の正午から午後1時半に三菱商事本社ビル21階にある大会議室で開催される。「メンバー企業の社会的信用の維持・向上」「三菱の文化財の維持管理」「内外政治、経済、社会問題の研究、調査」「メンバー企業間の親睦」を図るのが会の目的とされ、公式見解では「メンバー企業の経営に干渉したり、グループとしての政策や経営戦略を討議決定する場ではない」としている。
もっとも、単なる親睦団体ではないことは、関係者のあいだでは常識だ。「グループ各社の経営を縛るほどの強制力はないが、単に親睦団体というだけでは説明できない側面がある」と、金曜会の元幹部は証言する。
この元幹部によると「三井、住友に比べて三菱の歴史は浅い。だからこそ、スリーダイヤを傷つけてはいけないという意識が強い。スリーダイヤの死守が金曜会の最大の使命だ」という。
三菱ブランドを守るため、かつては倒産寸前の企業から三菱の名を外したり、休眠会社にしてしまうこともあった。グループ企業に大きな不祥事があれば、時に事務局が広報指導に入る。こうした暗黙のおきてを、同元幹部は「不文律的強制力」と表現する。
さらに金曜会には隠然たるヒエラルキーが存在する(上図)。このヒエラルキーに従い、全組織は上意下達で動き、全ての情報は事務局を介して金曜会へ上げられる。まさに「組織の三菱」を体現したかのような指揮系統を持っているのである。
さて、では2000年の三菱自動車のリコール隠し事件の際には、金曜会はどう動いたのか。