シャープの次期社長に、鴻海精密工業(ホンハイ)の戴正呉副総裁が就く人事が内定した。社外取締役候補にはソニー出身者を充てるなどその布陣には、ホンハイの焦りと再建策の稚拙さが浮かび上がってくる。(「週刊ダイヤモンド」編集部 中村正毅)
今年3月中旬。奈良県のホテル日航奈良で、ある会合が開かれていた。「枅川正也氏を偲ぶ会」。故枅川氏はシャープの元常務で、液晶事業の礎を築き上げた技術者だ。
故人に思いをはせながら、社員らが談笑する中で、皆が話題にしたのが、会合の発起人たちの顔触れだった。
シャープの水嶋繁光会長、ディスプレイカンパニーの伴厚志EVPの2人に加えて、鴻海精密工業(ホンハイ)のグループで、フォックスコン日本技研の矢野耕三社長の姿があったからだ。
矢野氏は、故枅川氏の薫陶を受け、シャープで液晶の生産技術開発本部長まで務めた人物だ。
ただ、ホンハイとシャープが出資交渉で泥沼に陥っていた時期とあって、「俺に聞くなよ」と周囲の突っ込みをかわしつつも、この日ばかりはバツが悪そうだった。
その1週間後。ホンハイは1000億円の出資減額をシャープに突き付け、それ以降、水嶋会長をはじめ首脳陣から、会合で見せたような笑顔は消えうせた。
出資減額で社内が大騒ぎになる中、ホンハイは日本での印象悪化を食い止めようと奇策に出る。それは、家具小売りのニトリホールディングスに売却した、シャープ本社ビルの買い戻しだった。
指示をしたのは、ホンハイのナンバー2で、シャープの次期社長に内定している戴正呉副総裁。「創業者の記念館を建てよう」などと迎合してみせたが、シャープ側の反応は冷め切っていた。所有権が移った直後でもあり、実現するとは到底思えなかったからだ。
戴氏の思い付きに付き合わされたのは、本社ビルの売買手続きを担当した、みずほ信託銀行だ。3月下旬、ニトリ東京本部で「買い戻したいと言っていますが、売ってもらえませんよね」と切り出した信託銀担当者の口ぶりにも、ホンハイに振り回されている様子がにじみ出ていた。