上海のB級グルメの代表格「葱油餅」(本文中に登場する店舗のものではありません)

 11年前のことだ。当時、いま住むマンションの竣工が近づき、新居で使う食器を探していた。いまや故人となった邱永漢さんに見習って、自宅用の食器として、町の中華料理屋が使っているような粗悪な品を使いたくなく、わざわざ一家揃って景徳鎮まで食器を買い求めに行った。きっと気に入った食器を入手できるだろうと信じていた。

 しかし、期待は見事に外れた。景徳鎮市内の主な販売店を全部回ったが、気に入ったものは1セットもなかった。相当な出費を覚悟した私たちだったが、結局、高級食器らしい商品は最後まで見当たらず、理解に苦しんだ。ホテルやオフィスビルのロビーなどに飾るような品のない大きな花瓶などの置物ばかりが店舗を独占していたのだ。

 ある磁器メーカーに質問をぶつけた。なぜもっといい食器を作らないのか、と。戻ってきた答えは、「あんな小物商品では食っていけない」というものだった。

 街角の壁には、磁器製造の「大師」(巨匠)たちの写真付きの紹介ポスターが大々的に飾ってある。こうした光景を目の当たりにした私たち一行は大きく落胆すると同時に、景徳鎮の没落を肌で実感した。それ以降、景徳鎮に再び行こうとはしない。

 経済発展のスピードと収益を求めるこの数十年間、中国社会はコツコツと働く職人の技と存在を見下し、大師といった肩書をもつ人間を無原則に、無節操に持ち上げた。世の中は表層的な豪華さ、にぎやかさに走ってしまう。

「工匠精神」に再び脚光

 ようやくここ1、2年、その反動またはその反省が来た。日本語の「匠の心」に相当する表現として「工匠精神」という言葉がメディアを賑わすようになった。これまで大師たちばかりに向けていた目が次第に巷に埋没してしまいそうな「能工巧匠」(腕のいい職人)たちを凝視するように変わりつつある。

 最近、私がSNSで読んで非常に感動したものがある。上海の裏路地で葱油餅(ツォンユーピン)作りにコツコツと32年間の歳月を注いだある職人を取り上げた記事だった。

 葱油餅とは、いわば中国風のネギ入りおやきで、上海のB級グルメの代表格とも言える存在だ。このコラムでも私は葱油餅のことを取り上げたことがある(「美味しい葱油餅の話題が無味乾燥な防空識別圏の話に圧勝」をご参照ください)。