多数決の3つの使用条件

 陪審定理で多数決を正当化できるための条件をまとめておこう。

(1)多数決で決める対象に、皆に共通の目標がある。
(2)有権者の判断が正しい確率 p は、0.5より高い。
(3)有権者は各自で判断する。ボスに従ったり、空気に流されたり、「勝ち馬」に乗ろうとしない。

 これらすべての条件が満たされるとき陪審定理は成立する。多数派の判断が正しい確率は、1人の判断や少数派の判断が正しい確率より高く、有権者の数が増えるにつれ上昇する。このとき多数派の判断を集団として選択するのが、すべての人々にとって賢明な選択だ。

 しかし条件が1つでも成り立たないとき、陪審定理からは多数決を正当化できない。これまでの説明と一部重複するが、(1)から(3)について注記しておこう。

(1)多数決の対象に、
皆に共通の目標がないとき

 こうしたケースはいくらでも思い付くが、いくつか列挙しよう。

『闖入者』における、侵入された男と、侵入者たち。利害は真っ向から対立している。多数決なら多数派である侵入者たちが圧勝する。しかしこれは侵入された男の居住権を侵害している。

「皆で誰かをいじめる案」を多数決にかける。いじめる側はいじめたいが、いじめられる側はいじめられたくない。

 5階建てマンションのエレベーターの改修費用をどう分担するかを決めるマンション自治会で、「1階の住民が全額負担する」との案が多数決にかけられた。

(2)有権者の判断が正しい確率 p が、
0.5より低いとき

 1人の人間の判断がコイントスに劣るケース、つまり p<0.5 のケースはどうすればよいのか。

 このとき陪審定理の結論は p>0.5 のときと逆になって、多数決の判断が正しい確率 P は、1人の判断が正しい確率 p を必ず下回る。一例をあげると、 p=0.4 ならば P=0.352となる。

 そして陪審員の人数を増やすにつれて、多数決の結果が誤る確率は100%に近づく。この結果は、もし人間が p<0.5 に自覚的であるなら大いに活用できる。少数決をすればよいのだ。2対1で有罪多数になったら、無罪と結論付ける。

 人間が p<0.5 という意味では賢くなくても、その自覚がありさえすれば、賢い選択ができるというわけだ。ただし、そのように自覚でき、しかも「俺たちはコイントスより賢くないから少数決にしよう」と考えられる人間は、かなり賢そうではある。

(3)有権者が各自で判断しないとき

 このケースもたくさん考えられる。

 集団のなかに1人の「ボス」がいて、皆がそのボスの判断に従うとき。

国会で過半数の議席を占める党のなかで党議拘束がかかっており、その党の執行部の決定が、そのまま国会の決定になるとき。5人のメンバーからなる会議で、そのうち3人がボスの決定に拘束されるとき、ボスが実質的には会議を独裁している。

 多くの人が空気に流されてしまい、自分の頭で考えないとき。「勝ち馬」に乗ろうとするとき。

マンション自治会の
「議長委任」はなぜダメなのか

 筆者はたまに読者の方から、多数決への不満を書いた手紙を受け取る。その大半はマンション自治会での多数決についてのもので、とくに議長委任への不満をつづるものが多い。

 議長委任とは、会議には欠席するが、自分の1票を議長に委ねるというものだ。議長でない人に委任できても、頼むのが心理的に負担だったり、面倒だったりする。そういうときは議長に委任する。自治会の会議に出られない人、出たくない人が多いとき、議長委任の票が積み重なる。

 だがこのとき事実上の議長独裁のようなことが起こる。どれだけ議論が紛糾しても、まとまらなくとも、議長の一存で多数決の結果が決まる。これは(3)の「ボス」の話に近い。議長委任の制度をやめてどうするか、2案ほど記しておこう。

1 欠席する人は、会議の案件が事前にわかっている場合には、各案件への賛否や棄権の意をあらかじめ表明しておく。
2 欠席する人は、会議を開催するための定足数に自分を加えてよいという意思を表示するだけで、各案件への賛否は表明しない。

誰かに票を委任できる制度というのは、少なくとも当たり前のものではない。例えば政治家の選挙では、自分の投票を誰かに委ねることはできない。国会でも、同じ政党に属する仲間であっても、票は委ねられない。

 2010年3月の参議院本会議では、自民党の若林正俊氏が、隣席の仲間が不在なのを見て代わりに投票ボタンを押したが、それにより若林氏は議員辞職に至った。

多数決は「どうでもよいこと」を
決めるのに向いている

 以上のように陪審定理の観点から考えてみると、多数決を正しく使うのは、必ずしも容易ではない。ただし、そもそも正しさが求められないこと、どうでもよいことを決めるのなら話は変わってくる。

 というのは、多数決はどうでもよいことを決めるのには実に適しているからだ。例えば仲間内でどこかに昼ご飯を食べに行くとして、どの店に行くか決めるとする。大抵の場合、こういうときに重要なのは皆で一定の時間内に食事に行くことであって、どの店に行くかではない。

 だからあっさり挙手の多数決で「イタリアンの希望者が多いからイタリアンにするか」とやると、手っ取り早くて便利である。

 そしてこれが「手っ取り早くて便利」といえるのは、多数決の対象が割とどうでもよいことであり、また後日の同様の機会には「先日はイタリアンにしたから、今回は中華に行こうか」といった配慮があるとも期待できるからだ。