平日は都会で働き、週末は田舎で過ごす。東京生まれ、会社勤め、共働き、こども3人。「田舎素人」の一家が始めた「二地域居住」。田舎暮らしでこどもたちに強烈な印象を与えた体験は「食べられる自然」だった。今こそこどもに教えたい自然体験の豊かさを、二地域居住奮闘記『週末は田舎暮らし』から、一部を抜粋して紹介する。
◆これまでのあらすじ◆
東京生まれ、会社勤め、共働き、こども3人。「田舎素人」だが「二地域居住」に憧れていた一家は、ついに田舎の家を手に入れ、都会と田舎を往復する生活を実践しながら、自然から多くを学んでいくことになる。そんな暮らしから、こどもたちも「食」への学びを得ることに……。
生きものを喰らう
そもそもはこどもたち、特に生きもの好きの息子のニイニに良かれと思ってはじめたこの生活。しかし、いざはじめてみれば、親がこどもたちに自然体験を与える、といった悠長かつ一方的かつ限定的なイメージは吹き飛びました。
畑あり、田んぼあり、川あり、山ありという、佇むだけで生物多様性を実感できるこの地での暮らしでは、想像をはるかに超えてビビッドな出来事が次々と起こり、驚嘆したり感激したりしながら、家族全体が巻き込まれていきました。
その中でももっとも強烈な体験は「食べられる自然を見つける」ことじゃないかなと、思います。
「南」と付く名に騙されたことに臍(ほぞ)をかみたくなるほど冷え込みの厳しい南房総の2月。もっとも生きものの気配の少ないこの時期にこそ、楽しみなことがあります。
朝、まだ太陽が山の向こうから顔を出す前の薄暗い中、起き抜けのパジャマの上にフリース、その上にまたフリース、その上にもこもことダウンを着こんで「今週こそは、出てるかもよ」と、あるものを探しに外に出ます。あちらの斜面地、こちらの斜面地と猫背になって歩きまわり、うろうろ、じろじろ。
ほどなくどこかから「みっけた!」と弾む声がします。
あたり一面が枯れ草色に覆われる中、ふわっと光を放つような仄白い芽を出しているのは、フキノトウです。
かじかむ手で摘み取ると、凝縮した命の匂いが立ちのぼります。凍てつく空気の中に放たれる、その驚くほど濃い青い香気。すごい!と思わず大きな声を出すと、こどもたちが駆け寄ってきて我先にと鼻を近づけます。
「うわあ、いいにおい!」
「わたしのほうがいいにおい!」
「冬なのに草のにおいだね」
「まだ他のところに草はえてないのにね」
「でもフキノトウも草だよ!」
と、自分の方が強く春を感じたと言わんばかりに、感想の主張合戦が始まります。
昼にさっそく、天ぷらにします。クリプトンランプくらいの大きさのフキノトウは、繊細でやわらかいものなので、さっと揚げるだけですぐに火が通ります。台所は外と同じくらい寒く、早く食べないと冷めちゃうので、もう、その場で塩を振って食べてしまう。
ハフハフ……う、うんまい!
あぁぁ、なんて幸せな味だろう。
おいしい、おいしいと半ば無理して食べるこどもたちに苦笑いしながら、それはそれで幸せな気分になってきます。
味というのは半分、気分のようなもの。自分で見つけたフキノトウをすぐに天ぷらにして、食べる。それが本当の贅沢だということは、大人じゃなくても分かるでしょうし、大人とかこどもといった身分を超えて、きゃーきゃーはしゃぐ連帯感や高揚感がきっと、ほろ苦いフキノトウを豊かな春の味へと感じ替える魔法となっているのでしょう。