世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。世界史を背骨に日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した『哲学と宗教全史』がついに9.2万部を突破。先日発表された「ビジネス書大賞2020」の特別賞(ビジネス教養部門)を受賞した。だがこの本、A5判ハードカバー、468ページ、2400円+税という近年稀に見る本だ。
一方、『世界標準の経営理論』も売れに売れ7万部を突破。だがこの本はさらに分厚く832ページ、2900円+税。
2冊で合計16万部! 薄い本しか売れないといわれてきた業界でこれはある種“事件”と言っていい。なぜこの「分厚い本たち」が読者の心をとらえて離さないのか。その疑問に応えるべく極めて多忙な2人の著者が初の特別対談を行った。(構成・藤吉豊)

仏教はなぜ日本で受け入れられたかPhoto: Adobe Stock

日本で仏教が受け入れられた
本当の理由とは?

仏教はなぜ日本で受け入れられたか出口治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年、三重県美杉村生まれ。京都大学法学部を卒業後、1972年、日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年4月、生命保険業免許取得に伴いライフネット生命保険株式会社に社名を変更。2012年、上場。社長、会長を10年務めた後、2018年より現職。訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊超。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。おもな著書に『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『仕事に効く教養としての「世界史」I・II』(祥伝社)、『全世界史(上)(下)』『「働き方」の教科書』(以上、新潮社)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎新書)、『人類5000年史I・II』(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇、中世篇』(文藝春秋)など多数。

出口:諸説ありますが、僕たちは、日本に仏教が伝わったのは「538年」だと教えられてきました。

仏教というのは、じつは「教え」ではなくて技術体系です。

仏教を広めようと思ったら、お寺も、仏像も、法具も、法服も必要です。

お寺を建てたり仏像をつくったりする「技術」がなければ、仏教を普及することはできません

入山:なるほど。

出口:日本は今、アメリカから「F35」という1機約100億円もする最新戦闘機を購入しています。

F35の心臓部分はブラックボックスになっていて、アメリカに持っていかないと分析ができません。アメリカと日米安全保障条約を結んでいるのに、最新の技術体系をアメリカは教えてくれないのです。

ではなぜ、当時、朝鮮半島にあった百済(くだら)が、日本に気前よく仏教という最新の技術体系を教えてくれたのだと思いますか?

百済は、538年に2回目の首都の移転を行っています。

1回目は高句麗(こうくり)に、2回目は新羅(しらぎ)に攻められ、南遷しているのです。

つまり、国が滅ぶかどうかの瀬戸際に立たされて、「仏教という最新のテクノロジーを教える代わりに、日本から百済へ傭兵を送ってよ」と交換条件を出したのが実情だったのではないでしょうか。

シェイクスピアの「リチャード3世」が戦場で追い詰められて叫んだ有名なセリフ「馬をくれ! 代わりに王国をくれてやる!」に似た状況だと考えれば、すごく腹落ちします。

入山:たしかにそうですね。

仏教はなぜ日本で受け入れられたか入山章栄(いりやま・あきえ)
早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授
慶応義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で主に自動車メーカー・国内外政府機関への調査・コンサルティング業務に従事した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。Strategic Management Journal, Journal of International Business Studiesなど国際的な主要経営学術誌に論文を発表している。 著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)、『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(日経BP社)がある。
Photo by Aiko Suzuki

出口:現代の我々でも「仏教の教え」は難しくて、簡単には答えられません。ましてや当時の人々に、仏教の教えが理解できたとは思えない。それでも仏教を受け入れたのは、崇仏派(仏を崇拝すること)の蘇我氏につけば、公共事業が増えて、仕事がもらえるからです。

排仏派の物部氏に味方しても仕事はもらえない。だとすれば、普通の人はこう考えるのではないでしょうか。

「仏教のことはよくわからないけれど、仕事があるほうがいい」と。

入山:「教えが立派だから」ではなく、「自分にとって都合がいい」という理由で宗教は広まったわけですね。

出口:そうです。「どうしてそんなことが起こったのか」を状況証拠ベースで考えていくと、俄然歴史は面白くなります。

(第6回に続く)