佐藤優氏絶賛!「よく生きるためには死を知ることが必要だ。」。「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。死に対して、態度をとれない。あやふやな生き方しかできない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』が9月29日に発刊された。コロナの時代の必読書である、本書の内容の一部を紹介します。連載のバックナンバーはこちらから。

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ゴータマは反逆児

 仏教で仏(ブッダ)といえばまずゴータマ、釈尊(しゃくそん)のことである。ゴータマは二五〇〇年ほど前の実在の人物だ。当時、インドにはもうカースト制があった。ゴータマのカーストは何だったか。ゴータマはシャカ族の王子として、王宮に生まれている。王子なら、父親は王である。王ならば、政治・軍事を担当する。ならばカーストはクシャトリヤだ。

 クシャトリヤは、宗教活動を禁じられている。宗教活動は、バラモンが独占することになっているからだ。ゴータマは、宗教活動をやりたかった。真理を体得したかった。ヒンドゥー教は、ゴータマに教える。クシャトリヤとして一生を送り、来世でバラモンに生まれてから修行しなさい。来世を待つとは、現世をあきらめることだ。ヒンドゥー教では、みんな現世で理想を追求するのをあきらめて生きるのだ。

 でもゴータマは、あきらめるのは嫌だった。どうしてもいま、修行をしたい。そこで家を出た。妻も子どもも捨て、地位も財産も捨て、ただの修行者(ホームレスの青年)になった。そして、何人かの師について修行したあと、自己流で断食と瞑想に励み、ついに真理を覚った。そして、サンガ(修行者の集団)を組織し、八〇歳で亡くなるまで弟子たちを教え続けた。

 ゴータマはクシャトリヤなのに、こんな活動をしてよいのか。バラモンをはじめ、ヒンドゥー教保守派の人びとは、反撥(はんぱつ)したに違いない。ゴータマが真理を覚ったなどとは認めないぞ。

 けれども、支持する人びともいた。カーストに関係なく修行して、覚ってもいいじゃないか。なにも来世まで、待つ必要はない。カースト制のもとで、チャンスを諦めていた人びとが、ゴータマのもとに駆けつけたろう。

 ゴータマは、ヒンドゥー教にとらわれない反逆の確信犯である。もしも輪廻を信じていたなら、おとなしく王となって、来世に希望をつないだだろう。現世で修行をしてやる、と思い切ったゴータマは、輪廻を信じていたはずがない。