「西郷隆盛は西南戦争に勝つ気がなかった」論の意外すぎる根拠とは?

地理とは「地球上の理(ことわり)」である。この指針で現代世界の疑問を解き明かし、ベストセラーとなった『経済は地理から学べ!』。著者は、代々木ゼミナールで「東大地理」を教える実力派、宮路秀作氏。日本地理学会企画専門委員会の委員として、大学教員を中心に創設された「地理学のアウトリーチ研究グループ」に参加し、精力的に活動している。2022年から高等学校教育で「地理総合」が必修科目となることが決定し、地理にスポットライトが当たっている。今、ビジネスパーソンが地理を学ぶべき理由に切り込んだ。(取材・構成/イイダテツヤ、撮影/疋田千里)

「地理視点」で歴史を見よう!

宮路秀作(以下、宮路):世の中には「歴史が好き」という人はよく見かける反面、失礼ながら「地理が好き」という人はあまり見かけないように感じます。

 こうした傾向ができたのは、「世界史のみ必修科目で、地理が必修でなかった」という学校教育の影響も大きいと感じています。

 地理を学べば「ものの見方がもう一つ増える」わけです。私はよく「歴史と地理は車の両輪」と表現していて、歴史を学ぶときに「地理的視点」を持つと、新しい風景が見えてくるんです。

──どんな風景が見えてくるんでしょうか?

宮路:たとえば「本能寺の変」ってありますよね。本能寺の変の後、羽柴秀吉は戦の途中だった毛利家とすぐに和睦をして、大急ぎで戻ってくるわけです。そして天王山で明智光秀と戦います。

 歴史的視点で言えば、そこで秀吉が勝ち、信長が作ろうとした世界を秀吉がどう引き継いでいくのか。そんな話になっていきます。そういうところにロマンを感じながら、過去から現在、そして未来へと連綿性を見ていくのが、いわゆる歴史です。

 地理的視点で見てみましょう。秀吉が毛利軍と戦っていた中国地方から京都に戻ってくるには約200キロも移動しなければなりません。その距離を何万という兵を引き連れていくのですが、秀吉軍はわずか7日間で帰ってきたのです(諸説あります)。

 何万もの兵が1日30キロ近いの距離を、7日間ぶっ通しで走って帰ってくる。これってスゴイことだと思いませんか?

──食料の調達とかも大変そうですね。

宮路:そうなんです。「いったい、どこを、どんなふうに走ったのだろう。そんなスピードで、どうやって移動したのか」。そんな視点で考えてみると、歴史の風景もまた違ったものに見えてきます。これこそ地理のおもしろいところですし、地理と歴史が車の両輪であるという部分でもあります。

──そう言われると、歴史的ロマンだけでなく「いったいどうやって移動してきたのか?」もすごく気になりますね。

宮路:そうですよね。歴史にはいろんな物語がありますが、それを地図上で考えてみると、すごいことが起こっているケースがたくさんあります。

──「新しい視点で歴史を見る」ということが体験できそうですね。

宮路:ちなみに、私は鹿児島人なんですが、郷里の先人である西郷隆盛が西南戦争を起こしますよね。

 西南戦争の歴史的な意義についてはいろいろ語られています。なかでも、「明治新政府に対する不平・不満を持つ分子たちを抱え込んで自ら死んでいく道を選んだ」という見方もあります。

 こうした話も地理的視点で見るとまた違ったリアリティが出てきます。

──どういうことでしょうか? 詳しく教えてください。