文化大革命時代、黒竜江省の農村に強制移住させられた私たちの世代の人生には、想像以上の辛酸を舐めつくした経歴が残されただけではなく、意外な出会いもあった。

配属先は荒野開墾の最前線

 私の配属先は「北大荒」と呼ばれる荒野開墾の最前線だった。文革中は軍事制度に習うのが流行りで、私は松花江と黒竜江の間に位する綏濱県の荒野地帯にある38中隊に所属することになった。一番近い中隊は3.5キロ離れた36中隊である。町に出るには、その36中隊を通過しないといけない。この36中隊には、趙暁沫さんという北京出身の女性がいた。当時、彼女が羊を放牧していた。

 想像を絶する厳しい環境の中にいながら、私は当時詩人になる夢を見ていた。北京の美術専門の中学校を出た趙さんは画家になるのを夢見ていた。やがて私の詩も趙さんの絵も新聞に発表されるようになった。

 しばらくして、趙さんのある版画作品がすごく大きな話題になったのを聞き、その絵を載せた新聞を探し出してみたら、36中隊を通過する度に見慣れたあの小道の風景が絵にあった。小麦の収穫季節に、地平線まで伸び続く麦畑で作業する人たちに昼食を届ける馬車が走る。見慣れた風景だけではなく、見慣れた作業光景でもあった。趙さんが羊を放牧しながら見つめていた風景が、こうして美術作品になったのだ、と大きな感動を覚えた。

 こうして私はのちに中国の版画の三大流派の一つである、かの有名な北大荒版画と出合ったのだ。文革終了後、趙さんは北京に戻り、名門大学の中央美術学院で版画の修士課程を出た。そののち、人民美術出版社の専門誌『中国版画』の副編集長を務めた。数々の美術賞も受賞している。