優れた才能ゆえに、嫉妬され、周囲の妬みを買う。社会の中で生きていく以上、これは仕方のないこともしれません。しかし歴史を見ると、優れた才能を持ちながらも、重用され続け、天寿を全うした人物もいます。世界史5000年の歴史から生まれた「15の成功法則」を記した『最強の成功哲学書 世界史』から見ていきましょう。

最も恐ろしいのは、
「嫉妬」の感情

 本連載は、試練に直面した偉人たちの対処を体感することで、彼らの失敗や成功を、自分の人生に取り込んでいこうとするものです。

 本日のテーマは「優れた才能」と「嫉妬」です。そしてご紹介する人物は、『三國志』の名軍師、賈詡(かく)です。

「優れた才」というものは誰もが持ち合わせているものではありません。しかしそれが故に、それは周りの人の「妬み」や「怖れ」の対象となりやすい。

人間は社会(ポリス)的な動物である。(出典:『国家』)

 これは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの言葉ですが、人間は霞を食べて生きる仙人でもない限り、社会の中で産まれ、社会の中で生き、そして社会の中で死んでいくものであって、他人とまったく無関係に生きていくことはできません。となれば、周りの人と如何に調和して生きていくか、ここが人生に成功を収めることができるか否かの要となります。

 周りの人の「妬み」「怖れ」をいかに抑制するか。優れた才能も、使い方を一歩間違えれば我が身を亡ぼす「諸刃の剣」となってしまうことを肝に銘じなければなりません。

“100点ではなく、200点を取る部下は嫌われる”<br />『三國志』の名軍師に学ぶ処世術最も恐ろしいのは、人間の「嫉妬」。妬み、怖れは、どうすれば抑制できるのか?

主君を次々と変えるも、
天寿を全うする。なぜか?

 中国では400年におよぶ漢王朝もついに黄昏の時代を迎え、それから約100年間におよぶ戦乱時代を迎えましたが、これが三国時代です。しかし、最初から「三国」だったわけではありません。

 後漢末には有象無象の群雄がひしめき合い、それが徐々に統廃合されていき、最終的に魏・蜀・呉の三国に集約していったのです。

 洋の東西を問わず古今を問わず、こうした戦乱の時代には、煌星の如く才あふれる者たちが現れ、彼らが才と才をぶつからせ、権謀術数を渦巻かせ、手練手管の限りを尽くして鎬を削ります。

『三國志』には多くの才能豊かな者たちが登場しますが、こうした才ある者たちも、歴史の大きな渦の中では“木っ端”同然、その天寿を全うできた者はたいへん少ない。これは、才能を発揮することよりも、動乱の世を生き抜くことのほうがずっと難しいことを表しています。

 唐の太宗(第2代皇帝)の故事から「創業は易く、守成は難し」と言われるように、事を興すことより、それを長く保つことのほうが至難なもの。しかし、そうした中で、賈詡はその数少ない人物のひとりでした。

 初めは、『三國志』最大の悪役・董卓(とうたく)に仕えていましたが、彼がまもなく潰えると、次に長安を支配した李傕(りかく)に仕えます。しかしほどなく、李傕を見限って段煨(だんわい)の下へ。

 その段煨への宮仕えも長続きせず、今度は張繍(ちょうしゅう)の下へ走り、その張繍が曹操(そうそう)に帰順すると、今度は曹操に仕えます。自分の仕える主君が何度亡びようとも、そのたびに主君を乗り換え、自分だけはしたたかに生き残り続けるという離れ業をやってのけた人物です。

 曹操には20年にわたって永く仕えましたが、その曹操が亡くなり、子の曹丕(そうひ)の御世になっても彼は筆頭の重臣(太尉)として厚遇され続けます。たいてい、先君に仕えた旧臣は新君から煙たがられますが、彼はそうしたこともなく、その天寿を全うし、大往生を遂げています。生え抜きの古参ならまだしも、これだけ主君を転々と変えながら、最後まで重用されるというのは本当に珍しいことです。