
酒井聡平
「おとーさーん!」高齢の遺族が子どものように泣き声をあげた理由
旧軍の戦死者たちの遺骨は、アジア太平洋の各地域で、本土帰還の日を待ちわびている。彼らを捜索する作業は残された者の義務だが、地下に張り巡らされた壕内部に1万柱が埋まっている硫黄島は、とりわけ過酷な現場だ。島に渡った筆者は、初日の現場で大の字に倒れた。一歩間違えれば一酸化炭素中毒になっていたかもしれないという――。本稿は、酒井聡平『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。

父が少年に伝えた最後の手旗信号「たった6文字の言葉」に涙が止まらない
小笠原諸島最大の島であり、太平洋戦争で亡くなった2万人のうち1万人の遺骨が見つかっていない硫黄島。なぜ日本兵1万人は消えたままなのか?民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸した新聞記者が綴った“硫黄島の真実”とは?本稿は、酒井聡平『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。

「指1本を切り落とし、ガーゼに包んでバッグに入れ…」99歳元陸軍伍長が生き抜いた“硫黄島の戦い”
アメリカ海兵隊の創設以来、もっとも過酷だったとされるのが、1945年の硫黄島をめぐる戦いだ。攻めるアメリカは3万弱の戦死・戦傷者を出す大損害をこうむったが、一方、2万の兵で守る日本軍の致死率は95%にものぼり、生還者はわずか1000人ほど。そして戦後70年以上が経過した今、日本の元兵士に直接取材をするのは不可能に近い。そんな中、激戦前夜の硫黄島を知る元陸軍伍長の西進次郎さんにお話を聞く機会を得た。9回にわたる電話取材の様子を、ここに報告する。※本稿は、『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
