高木俊朗

ノンフィクション作家

1908年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、松竹に入社。のち富士スタジオ、日映へ移る。戦争中、陸軍報道班員として中国大陸からビルマをまわり、鹿児島の知覧に入る。この間、記録映画『広東進軍抄』、文化映画『北京の正月』『万寿山』などを発表。戦後は、1948年劇映画『幸運の椅子』、他に『柔道の王者』『白き神々の座』などを監督。戦後、従軍経験をもとにノンフィクションを書き始め、非情と残酷の支配する聖戦の内実を広い視野からとらえた作品を発表。主な著書に『陸軍特別攻撃隊』(菊池寛賞受賞)『インパール』『遺族』『焼身』など。1998年死去。

終戦の日、特攻隊員が「降伏」を拒絶したワケ「高級参謀殿は命が惜しいのですか」
高木俊朗
終戦に直面し、なお出撃を訴える特攻隊員たち。その熱気と対照的に、責任を負うべき司令官たちは当惑するばかりだった。戦時中は陸軍の報道班員として東南アジア各地に従軍した筆者は1945年、知覧(鹿児島県)の航空基地に転属。そこで特攻隊員たちの肉声に触れた。※本稿は、高木俊朗『特攻基地 知覧』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。
終戦の日、特攻隊員が「降伏」を拒絶したワケ「高級参謀殿は命が惜しいのですか」
特攻隊「全員志願」はウソだった?生還者が明かす“命令”の存在…軍上層部の無責任な言葉とは?
高木俊朗
爆弾を抱えた航空機による敵艦への体当たり攻撃、いわゆる「特攻」作戦は、なぜ続けられたのか。冷静に振り返れば、その無謀さは明らかである。それでもなお若者たちは空へと送り出され、多くの命が帰らぬものとなった。戦時中は陸軍の報道班員として東南アジア各地に従軍した筆者は、1945年、知覧(鹿児島県)の航空基地に転属。そこで特攻隊員たちの肉声に触れた。※本稿は、高木俊朗『特攻基地 知覧』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。
特攻隊「全員志願」はウソだった?生還者が明かす“命令”の存在…軍上層部の無責任な言葉とは?
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