高木俊朗
終戦の日、特攻隊員が「降伏」を拒絶したワケ「高級参謀殿は命が惜しいのですか」
      
      終戦に直面し、なお出撃を訴える特攻隊員たち。その熱気と対照的に、責任を負うべき司令官たちは当惑するばかりだった。戦時中は陸軍の報道班員として東南アジア各地に従軍した筆者は1945年、知覧(鹿児島県)の航空基地に転属。そこで特攻隊員たちの肉声に触れた。※本稿は、高木俊朗『特攻基地 知覧』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。
      
    
特攻隊「全員志願」はウソだった?生還者が明かす“命令”の存在…軍上層部の無責任な言葉とは?
      
      爆弾を抱えた航空機による敵艦への体当たり攻撃、いわゆる「特攻」作戦は、なぜ続けられたのか。冷静に振り返れば、その無謀さは明らかである。それでもなお若者たちは空へと送り出され、多くの命が帰らぬものとなった。戦時中は陸軍の報道班員として東南アジア各地に従軍した筆者は、1945年、知覧(鹿児島県)の航空基地に転属。そこで特攻隊員たちの肉声に触れた。※本稿は、高木俊朗『特攻基地 知覧』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。
      
    