井上章一
阪神じゃない…御堂筋を埋めた20万人が熱狂した「もうひとつの関西球団」の栄光と衰退
1950年代、関西で最も人気を誇っていた球団は、阪神ではなく南海ホークスだった。宿敵・巨人に挑み続け、ついに雪辱を果たした1959年、当時の大阪の街は歓喜に包まれ、20万人が御堂筋に押し寄せた。だが、その祝祭は“終わりの始まり”でもあった。関西野球の興隆と転換を刻んだ、その歴史的パレードをたどる。※本稿は、井上章一『阪神ファンとダイビング 道頓堀と御堂筋の物語』(祥伝社)の一部を抜粋・編集したものです。

「そのていどの戦績で…」阪神タイガースが御堂筋パレードを「長年できなかったワケ」
御堂筋を行進する阪神タイガース。その光景はいまや関西の歓喜を象徴するものだ。だが、この“南下するパレード”には、もう一つの物語が重なっている。かつて同じ御堂筋を“北上”した南海ホークス――。その軌跡には、電鉄と野球、そして大阪という都市が描いた夢の記憶が刻まれていた。※本稿は、井上章一『阪神ファンとダイビング 道頓堀と御堂筋の物語』(祥伝社)の一部を抜粋・編集したものです。
