シュンペーターは「企業者」「銀行家」「資本家」「生産管理者」など、さまざまな経済主体を「機能と役割」として描いている。イノベーションの担い手である企業者は、循環的な軌道に乗った瞬間に企業者ではなくなり、生産管理者に変化するという。つまり、人格ではなく、抽象的な機能である。

 理論経済学はこれらの経済主体を合理的に行動する要素として描く。つまり生産関数の中の記号だから、たとえば「限界生産力逓減の法則」から個別の事例でただ1つの回答が演繹的に導かれる。もっと簡単にいえば、経済主体は合理的に行動することが経済理論の前提となる。したがって数学モデルができる。

 一方、20世紀後半に発達した経営学は、積極的に企業の事例を集め、多くのケーススタディを分析して帰納的に法則を得る。数学的なモデル化はむずかしい。

 シュンペーターの『経済発展の理論』(※注1)、すなわち企業者によるイノベーションの理論は、どちらかといえば理論経済学の演繹的な論理ではなく、帰納的な経営学に近いとも思える。

 しかし、本書に登場する企業者の事例は、ほとんどない。シュンペーターはあくまでも景気循環論に接続する経済発展の主体として、雄雄しくイノベーションに立ち向かう英雄的な存在として企業者を描く。

 たとえば、数理経済学者として著名な森嶋通夫先生は『思想としての近代経済学』でこう書いている。

 「シュンペーターの資本主義社会は、ただ者ならぬ企業者と銀行家が経済を引っ張っていくニーチェ的な英雄主義の世界である。彼らは革新を行なって、古い世界を打破し、今までと全く違う物質世界をつくることにより新文化を形成する。資本主義社会は旧軌道から不安定的に遠ざかり、全く新しい世界に至る。」(※注2)

 経済学には珍しく、あまり合理的とは思えない人間像が描かれているのだ。これが『経済発展の理論』の面白さである。「旧軌道から不安定的に遠ざかり、全く新しい世界に至る」という発想は、ノーベル賞化学者のイリヤ・プリゴジン(※注3)が描く「散逸構造論」に近い。単純な合理的世界ではなく、より複雑な系(システム)を解こうとする20世紀後半以降の科学のスタイルに接近している。

 『経済発展の理論』の読者は、したがって企業者とイノベーションの実例や単純化された数学モデルに出会うこともなく、延々と長大な文章を読むことになる。大学の経済学部生が、『経済発展の理論』の著者名と書名だけ知っていて、ほとんど読んでいないのはそのためであろう。

 本書第2章は、まわりくどさが非常に面白いし、今日の企業経営になくてはならない論理だが、実例は「郵便馬車」に取って代わった「鉄道会社」くらいしか出てこないので、とうてい親しみやすい本とはいえない。

シュンペーターが注目した
ジョン・ローとは何者か?

 シュンペーターが企業者の「相似性」として本書で挙げる「ジョン・ローとベネチアの商事企業家」(※注4)は、筆者にはとても目を引く記述だった。

 シュンペーターが『経済発展の理論』執筆の段階で否定的(逆説的)に挙げているのか、それとも肯定的に引用しているのか、たった一言しか出てこないのでこの段階ではよくわからないし、前後の複雑な文体を読み解く能力が筆者にはないが、少なくとも既存の制度を破壊した革新的な人物としてジョン・ローの名前を挙げている。