広島東洋カープが今季は絶好調で、1991年以来25年ぶりのセ・リーグ優勝が近づいている。四半世紀も待った歓喜の瞬間を目前にして、広島の街は浮足立っている。25年という時間は、広島をどう変えたのか。「週刊ダイヤモンド」9/10号の特集「カープ25年ぶりの歓喜に沸く広島今昔物語」では、待ちに待った25年という時間の重みに迫り、広島の経済・産業の25年史と、これからの道筋を考えてみた。その一部を特別公開する。
広島の街がざわついている。広島東洋カープの1991年以来25年ぶりの「歓喜」が目前に迫っているからだ。
9月4日時点で、マジックは4。96年に11.5ゲーム差を長嶋巨人の“メークドラマ”でひっくり返された経験があるため、「優勝」の2文字を怖くてなかなか口に出せなかったカープファンも、さすがに「もう口にしても逃げていかないかも」という心境になっているようだ。
そのくらい戸惑い、浮足立つのも無理はない。何しろ前回が91年というのは、セ・パ両リーグを通じて最も長くリーグ優勝から遠ざかっているという状況。平成生まれのカープファンの大半は、優勝の味を知らないのである。
一方、25年間優勝していないという事実は、古くからのカープファンに別の感情を呼び起こす。
75年の「初優勝」である。それは原爆による焼け野原に生まれた市民球団の創設から26年目の出来事だった。万年Bクラスでセ・リーグのお荷物とまでいわれた貧乏球団は、紺色の帽子から現在の「赤ヘル」へとイメージチェンジしたその年、まさに今シーズンと同様の神懸かった快進撃を続け、初優勝を遂げたのである。
75年の初優勝時に小学4年生だった湯﨑英彦・広島県知事は、「カープの存在が県にもたらす経済効果はもちろんあるが、みんなの心のよりどころになり、心を一つにして同じところに向かって進んでいく強さや、弱い時期もへこたれずに粘り強く頑張る姿が、人々のマインドに与える影響は非常に大きいものがある」と話す。
それにしても、前回の優勝以来、創設から初優勝までとほぼ同じだけの月日が流れている。その点でも、今回のリーグ優勝に広島県民がどれだけ期待しているかが分かるはずだ。
そして四半世紀という時間の重みに想いをはせざるを得ない。75年の初優勝までが広島の「戦後史」だったとすると、91年からの25年はまさに「バブル崩壊後の平成史」と重なる。この25年で、広島にはどんな変化があったのか。