疑わしきは、まず検証
それがジャーナリズムの国際的常識

 検証のため、事前にウィキリークスから情報を受け取っていたニューヨーヨータイムズ(米)、ガーディアン(英)、シュピーゲル(独)の三紙は別格としても、世界中のあらゆるメディアが、まずはウィキリークスの漏洩情報を事実であるかどうか取材検証し、その後、なぜ米政府がそれを隠したのかと批判的に報じた。

 今回の米国務省の公電漏洩事件も同様だ。ほとんどすべての海外メディアの論調は、25万点にも及ぶ米国務省の公電が本物であるかどうかに関心を寄せ、さらに調査取材の末、それが本物だとわかると、今度は米国の危機管理能力の欠如と世界戦略の傲慢さを批判的に報じはじめたのだ。

 事実上、ウィキリークスの創設者であるジュリアン・アサンジ氏の振る舞いを非難するだけの記事は皆無といっていい。

 ところが、世界中である国のメディアだけは違った。それが日本であり、記者クラブメディアの報道である。

 前回、7月の在イラク米軍の漏洩事件のときもそうだが、自らは検証することなく、「暴露系サイト」による信用ならない情報だと決め付け、実際そういう論調のニュースを繰り返し流し続けた。

 みのもんた氏の「朝ズバ!」(TBS)はいうに及ばず、報道系の「報道ステーション」(テレビ朝日)までもが、〈信用ならない元ハッカー(アサンジ氏)の作った胡散臭い暴露サイトの情報〉というレッテル貼りに終始し、、問題を矮小化させるのみだったのだ。

 あたかもそれは日本政府の代弁者のような振る舞いであった。

 じつは今回もまったく同様だった。さすがに〈暴露系サイト〉という不自然な「普通名詞」の使用は見当たらなくなったが、それでもウィキリークスという固有名詞は批判的な言葉として扱われ、新聞もテレビも〈信憑性に欠けるネット情報にすぎない〉というスタンスを変えようとはしなかった。