17歳の女子高生・児嶋アリサはアルバイトの帰り道、「哲学の道」で哲学者・ニーチェと出会います。
ニーチェの言葉を聞いているうち、「人のことを考えないとだめだ、と思っていたけれど、それは私の意見でもなんでもなく、ただ与えられた道徳を鵜呑みにしていただけだったのかもしれない」と思いはじめたアリサでした。
ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ショーペンハウアー、ハイデガー、ヤスパースなど、哲学の偉人たちがぞくぞくと現代的風貌となって京都に現れ、アリサに、“哲学する“とは何か、を教えていく感動の哲学エンタメ小説『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』。今回は、先読み版の第6回めです。

道徳は正しい!という前提すら疑ってみるのだ

「そっか、非利己的な考えが出来ない“自己中な自分”を、頭ごなしに悪いと思いこんでいることが、すでに道徳に振り回されていることになるってことかな」

「そうだ。“自己中な自分”を否定したくなるという気持ちの根底には“自己中でいるのは悪いことだ”という先入観があるのだ。少々過激な言い方をすると、他人から植え付けられた道徳に洗脳されているともいえるだろう。道徳は正しい!という前提すら疑ってみるのだ。
 ただおとなしく従うのではなく、自分自身で考えてみる。疑い、時にあらがってみる。道徳に支配されて、生きる意欲を失速させてしまっては、意味がないからな。
 むやみやたらに道徳に反抗しろ、犯罪に走れと言っているわけではないが、他人から言われたことを鵜呑みにするのではなく、一度疑うことで自分なりに考え直してみることが重要だ」

 そう言うと、ニーチェは満足げに、夜空を見上げ「思ってたよりアホじゃなくて、よかった。いや~会った時はやばいやつだったらまじでどうしようかと思った」とまた失礼極まりない独り言をぶつぶつと呟いていた。あたりはすっかり冷えこみ、ふとももに触れたベンチからもひんやりした冷たさが伝わってきた。

 知らない間に、自分の中で「当たり前」となっていた道徳心。他人から教わった道徳心のはずなのに、いつのまにか自分の意見のように思いこんでいた。

 そう考えると、どこまでが他人の考えで、どこからが私の意見なんだろう。そんなことを思いながら、私は残り少ない冷めて甘さの増したミルクティーを飲み干した。

 ニーチェは私の隣で、何か考え事をしているのか、また人差し指に前髪をくるくると絡め、一気にほどく。