興銀名古屋支店でのやりとりを思い出す中田社長 Photo by T.U.

 取り調べ室のような部屋では、こんなやりとりがあったという。

守衛「おたく、どちら?」

中田「いや、あの……」

守衛「なにしに、ここへ来たんですか?」

中田「じつは、私こういう者でして(と名刺を差し出し)」

守衛「ナカダ産業?」

中田「怪しい者ではありません。たまたまセミナーで名古屋に来て、このビルを見まして、いかにも大きな銀行なんで、ここなら私にもお金を貸していただけるかと思い、資料でももらって帰ろうかと思っていたところなんです」

 この時点で、中田氏は「日本興業銀行」がどんな銀行なのか、まったくわかっていなかったという。「名前からして、おそらく工業を支援してくれる銀行なんだろう」というくらいの認識しか、なかった。

 事情を理解した守衛さんが窓口に電話をすると、上のフロアから若い行員が降りてきた。名前を、吉井肇さんといった。

「この方が、じつに素晴らしい人でして。私より10歳若い29歳でしたが、別室で話を聞いてくれまして、『では、直近3期の決算書のコピーを』と言われたんです。郵送でいいからと言われたんですが、嬉しくなって、翌朝、自分で持って行きました。それから1週間後、吉井さんが工場を見学にきてくれましてね。3ヵ月後には融資が決定しました」

――えっ、そんなに簡単に?

サラダコスモの有機もやし

「はい。呼ばれて、当時の総務部長と2人で興銀の名古屋支店に話を聞きに行きまして。まず言われたことは、我々の事業が成功するためには、全国10社以内に入るくらいの規模を確立しないといけないでしょう、ということ。それと、利益を出すにはトップ3のサイズにならないといけない、ということでした。『興銀はそれまで御社を応援しますから』とまで言っていただいた。吉井さんが全部、お膳立てしてくれましてね、30億円、無担保、保証人なしで借り入れることができたんです」

 にわかには信じられないような話である。

 日本興業銀行と言えば、明治以後、日本の産業振興に深く関与した。2000年代に相次いだ大型の吸収合併で解散してなくなるまで戦後の復興や重工業の発展などに寄与してきた銀行であり、市中の中小企業に資金を貸し出す業務をメインとしていたわけではない。バブル経済真っ盛りの時期だったとはいえ、地方企業がそのような銀行から借り入れができたのは驚きだ。

 天下の興銀が、当時売上高11億円の「ナカダ産業」に、その3倍もの資金を貸す決断をしたのはなぜなのだろう?

 中田氏がその理由を尋ねたところ、吉井氏はこう語ったそうだ。「中田さんは夢が語れて、そろばんもできる。両方できる人はなかなかいませんから」と。