「大恩人の銀行マン」と悲しい別れも
奇跡から36年、売上高100億円へ

――なんだか、ドラマのような話です。

「ウソのようなホントの話ですよ。じつは、その融資が決まるとほぼ同時に、吉井さんはシカゴ支店へ転勤になり、5年後に日本へ帰ってきました。その時に、稼働した新工場を見学に来られ、事業が成長軌道に乗っているのを見て、すごく喜んでくれましてね。『銀行員冥利に尽きます』と言ってくれました。残念ながら、彼はそれから間もなく、35歳にして病気で亡くなってしまった」

 逝去の知らせを受け、中田氏は取るものも取りあえず焼香に向かった。それから4、5年経ったある日のこと。奥様から届いた手紙には、こう記されていたという。

<主人は中田さんの名刺をいつも名刺入れに入れていて、この人を応援するんだ、とまるで自分ごとのように誇らしげに言っておりました>

――それもまた、ドラマのようないい話ですね……。

中津川サラダ農園

「ほんとうに」

 銀行との付き合いと言えばそれまで、「利息さえ払えば感情など関係ない」と中田氏は思っていた。しかし、その一件があって以来、考え方が少し変わった。

「吉井さんの手前、借りたお金は有効に使わないといけないな、と思うようになりました」

 感慨にふけっていたところ、中田氏がおもむろにこんなことも言い出した。

「というわけで、そんな奇跡的な出会いから36年が経過し、私どもの会社の売上高も、今期はようやく100億円に届くかというところまで来ました。ですから、今年から来年にかけて、また新たに100億円の投資を計画しているところです」

――今度は売上高の2倍ですか?

「ええ、以前は11億円の売上高に対して30億円の融資をしていただきましたので、本当は300億円くらい借りたいところですが、そう言ったら、今の銀行の支店長さん、顔が引きつっていました(笑)」

 金融機関との良好な関係はみずほ銀行に変わってからも続き、現在も、みずほ銀行名古屋支店はサラダコスモのメインバンクである。

 ところで、興銀がメインバンクに付いて以来、他の銀行も安心して融資してくれるようになり、資金の融通はぐっと楽になった。が、好事魔多し。そんな最中の1996年夏、危機は思わぬところから襲ってきた。次回はその最大の危機に直面した際の、中田社長の決断について伺っていく。

※続編「O-157危機を「解雇・減給なし」で乗り切ったもやし会社の英断」はこちらから。