日本企業はこれまで積極的に海外の人材を採用してこなかったので、経歴詐称に対する免疫もあまりない。これからは、経歴詐称に悩まされる企業が増えていくだろう。すでに騙されている企業も実は多数あるらしい。

 先述の彼から聞いた経歴詐称の一例を挙げよう。本当は「CERTIFICATE」と呼ばれる「修了証」がもらえる短期コースを出ただけなのに、「修士」と偽る。机と電話とパソコンしか置いていないゴースト大学やゴースト会社を経歴に入れる。「それっぽい」偽装を施した卒業証書を提出する。Aという大学を卒業したことまでは本当だが、学科やコースを偽る。驚くべきことだが、医学部や看護学部を出ていないのに医療従事者の免許を持っていると言い張る「偽医師、偽看護士」も少なくないという。

日本の高信頼社会が崩れる日も近い

 積極的に海外の人材を採用してこなかったせいでもあるが、これまで日本では、経歴詐称はそこまで問題視されてこなかった。逆にいえば、レアケースだからこそ、有名人の経歴詐称が大ごとにされてきたのだ。これは国民性が関係しているのだろうか。

 たとえばサッカーの国際試合などで、蹴られてもいないのに「蹴られた!!」と大袈裟に審判にアピールする外国チームを見かける。これは「マリーシア」などとも呼ばれ、上手に試合を作る技術としてポジティブに語られることさえある。日本チームはあまりそういう「偽証」はしない。

 国により大きく異なる対応は、各国で歴史的に形成されてきた社会環境に影響を受けているのではないか。

 もはや古典になった感もあるフランシス・フクヤマの「Trust(信なくば立たず)」には、市民の自発的社交が発揮された日本、アメリカ、ドイツなどの社会では、国家でも縁戚でもない中間的なコミュニティが発達し、そこから高信頼社会(お互いに騙し、騙されない社会)が生まれたと書かれている。

 一方、その他多くの国では、協力的な中央集権化の時代を経た結果、中間的な組織は破壊され、血縁関係を中心とした同族以外には頼れない低信頼社会(ファミリーとそれ以外を分け、信頼するのはファミリーだけという社会)が形成されたという。そのため、他者との間に信頼関係を作り出しづらいという。

 このように考えていくと、やはり「偽る」ということに対しては、社会環境が生み出した国民性が関係すると言ってよさそうだ。日本のような閉じた社会では、少し誰かに尋ねただけで知り合いや関係者につながってしまう。メンバーが固定化された狭くて「詐称がバレやすい」環境が詐称への抑止力になっていたとも考えられるのだ。しかし、日本人も低信頼社会に入って働こうとすれば、「郷に入っては郷に従え」で、経歴詐称くらいはやってしまうのではないか。グローバル化によって日本の環境も少なからず影響を受けるだろう。