いよいよ年末が迫り、徳川家康没後400年の年も終わりに近づいている。
江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきた。
だが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
『三流の維新 一流の江戸――「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』が話題の著者に「知られざる世界のクロサワ映画の秘密」を聞いた。

「黒澤はグランプリ、永田雅一はシランプリ」

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など

「世界のクロサワ」といわれる黒澤明監督の代表作の一つに『羅生門』(大映製作・配給)という作品がある。

 今更ここで解説するまでもなく、敗戦からまだ日も浅い昭和二十五(1950)年に公開されたこの映画は、芥川龍之介の短編小説『羅生門』『藪の中』を下敷きとして、黒澤明、橋本忍という黒澤映画ではお馴染みのコンビが脚本を担当したもので、世界の映画史に残る名作である。

 日本映画として初めてヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、アカデミー賞名誉賞を受賞し、平成になった今でも、十年ごとに発表される「映画史上最高の作品ベストテン」(イギリス)、「20世紀の映画リスト」(アメリカ)などでランキングされることから、若い人でもよく知っている映画の一つであろう。

 実は、この映画の成功の裏にも、明治維新以降、常に自国の歴史や伝統を卑下し、これを全否定することを「進歩的」「開明」などと称して西欧文化のみが評価の基準となり、時に正義の基準とまでされてきた「維新」「文明開化」の根深い病巣が認められるのだ。

 当時の大映社長は「永田ラッパ」の愛称で知られた、稀代の独裁者永田雅一(まさいち)であるが、社内の試写で『羅生門』を観た永田は、「訳が分からん」と激怒し、企画担当者を解雇したといわれたほどであった。

 そもそもヴェネツィア国際映画祭から日本へ送られてきた出品招請状に対しても、国内で選ばれた『羅生門』は辞退する有様であった。

 そんな中、映画祭の依頼を受けて日本の出品作品を探していたイタリアフィルム社長のジュリアーナ・ストラミジョーリがこの映画に出逢い、いたく感動して出品に動こうとしたが、何と当の大映がこれに反対する始末であった。
困ったストラミジョーリは、自費で英語字幕をつけて映画祭へ送ったのである。

 当然といえば当然かも知れないが、映画祭には大映関係者、『羅生門』関係者は誰も参加していない。そもそも監督の黒澤は、出品されたことすら知らなかったのである。

 昭和二十六(1951)年九月、『羅生門』は映画祭で絶賛の嵐に包まれ金獅子賞、即ち、グランプリを受賞、しかし、それを受け取るべき関係者は誰もいない。
 困った主催者は町中でベトナム人を見つけ、このベトナム人男性にトロフィーを受け取らせたというウソのような話が伝わっている。

 日本では、永田ラッパが記者団に、
「グランプリて何や?」
 と聞いて失笑されたが、すべてを教えられて豹変、一転して『羅生門』を絶賛したばかりか、まるで当初から自信をもっていたかのような態度になったことは余りにも有名なエピソードである。

 世間は、
「黒澤はグランプリ、永田雅一はシランプリ」
 などといって嘲笑したが、当の黒澤は、まるで『羅生門』そのものだといったと伝わる。