日本映画を一番軽蔑していたのは日本人

 確かに、黒澤には一つのことが分かっていたのだ。
 それは、日本映画を一番軽蔑していたのは日本人であること、例えば、浮世絵も海外へ出るまでは日本人は芸術としては全く評価していなかったこと、つまり、日本人が「日本的なるもの」を蔑視してきた歴史である。

 受賞祝賀会で黒澤は、日本映画を外国に出してくれたのが外国人であることを指摘し、浮世絵の例にも触れ、
「反省する必要はないか」
 と問いかけた。

 思えば、日本人のDNAに「西欧崇拝」という良性とはいい難(がた)い因子を刷り込んだのは、俗に「明治維新」といわれるクーデターで政権を簒奪(さんだつ)した薩摩長州勢力である。

 昨夜までは「尊皇攘夷」を激しく喚(わめ)いていながら、夜が明けた途端に徹底した欧化主義に走り、卑(いや)しいまでに日本的なるものを侮蔑(ぶべつ)し、西欧を丸ごと崇拝したのだ。

「文明開化」の大合唱の中で、新政権の中枢を占めた薩摩長州人は、来日したお雇い外国人に対しても、
「我々には『歴史』はありません。これから始まるのです」
 と、愚かにも胸を張ったのである。

 この言に従えば、私たち日本人は、僅か百五十年にも満たない、それも実に貧弱な構造でしかない歴史しかもっていないことになるのだ。

 映画『羅生門』の冒頭シーンを覚えている読者は多いに違いない。
 時は平安時代。戦乱と疫病で荒れ果てた都を象徴するような、朽ち果てそうなまでに荒廃した羅生門。下人(げにん)たちが雨宿りをしている。寒々しい雨が、希望のない日々を表現するかのように降り続く。

 この雨のシーンが、世界の映画ファンのみならず、プロである映画人を驚かせた。
 黒澤は、墨汁を混ぜた水を大量に用意し、ホースを使ってこれを雨として降らせたのである。
 映画ファンなら気づくだろうが、この手法は後の『七人の侍』(昭和二十九・1954年東宝製作・配給)でも使われているのだ。