あの1989年(平成元年)から四半世紀。多くの政党が名称を変え、合流離脱を繰り返してきた。肝心の政策はどうだろうか?この25年間あまり、政治はどれほど変わったのか、または変わっていないのか、いくつかの事例を挙げて振り返ってみよう。

土井たか子旋風で社会党躍進
その後の布石となった参院選

 1989年7月23日に投開票が行われた第15回参議院議員選挙で「山が動いた」。

社会党が大躍進し「マドンナ旋風」を引き起こした土井たか子委員長。「55年体制」崩壊の予兆が、この頃すでにあらわれていた Photo:Kaku Kurita/AFLO

 与党・自由民主党は、リクルート社から未公開株で政官財に広く利益供与が行われたリクルート事件、この年の4月に導入された消費税への批判、そして6月にあの鳥越俊太郎氏が編集長だったサンデー毎日が報じた宇野宗佑首相の女性スキャンダルと、台風並みの三連発の逆風にさらされていた。

 何とかしたいと出てきたのが全国市町村に1億円をばらまいた「ふるさと創生資金」だったりするのだが、あがきも空しく自由民主党は獲得議席が69から36へと半減、特に1人区で3勝23敗と大惨敗、非改選の73を足しても109議席と、結党以来初めて、参議院での過半数を失うことになった。

 その批判票の受け皿となったのが土井たか子委員長率いる社会党で、22から45議席と大幅躍進。このとき女性候補を多数擁立、当選させていたことで「おたかさん旋風」「マドンナ旋風」とも呼ばれた。

 この後、勢いを得た社会党は野党を糾合して参議院での土井たか子首班指名や消費税廃止法案の上程など、新機軸を打ち出すも、パチンコ業界(と、その向こうにいる朝鮮総連、北朝鮮)との癒着が取りざたされてイメージダウン。非自民勢力は日本新党という新しい求心力を得て、社会党の勢いは急速にしぼんでいく。

 一般的に55年体制(与党が自民党、野党第一党が社会党という55年以降続いていた政治の勢力分布)の崩壊とは93年、宮澤喜一政権下で行われた第40回衆議院議員総選挙で自民党が単独過半数を失い、政権の座から下野したことを指す。