赤穂浪士が吉良上野介邸へ討ち入りしたのは、314年前の1702(元禄15)年12月14日だった。
そのきっかけとなった江戸城松の廊下での刃傷事件の原因について、『花の忠臣蔵』(野口武彦著)がインフレの観点から非常に興味深い指摘をしている。現代の金融政策、財政政策にとって示唆に富む描写が多々含まれているため、以下、同書から引用してみよう。
赤穂藩主である浅野内匠頭は、1701年に幕府の「勅使御馳走役」に任命される。これは朝廷から来る公家を幕府がもてなす際の接待責任者である。同役は接待関連費用を自分の藩で負担し、かつ朝廷の儀礼に詳しい「高家肝煎」に助言を仰ぐため、彼に高価な進物を贈らなければならなかった。
このときの高家肝煎が吉良だ。通説では、貪欲な吉良への進物が不十分だったために浅野はいじめられたといわれる。しかし、それとは別に接待費用の予算をめぐる浅野と吉良の対立も影響した。
浅野が5年前の御馳走役の会計簿を借りて見たところ、支出は1200両だった。18年前にも浅野は同じ役を務めたことがあるが、当時の支出は450~460両だった。藩の負担を減らしたい浅野は700両でやりたいと提案したが、吉良は少な過ぎると反対。実は、2人の間には物価水準に関する認識に大きなギャップが存在したのだ。