ファイト十則

 下着ブームのなか和江商事は積極的な広告戦略でさらなる飛躍を果たしたわけだが、そのことについてはすでに述べた。そして和江商事を担当していた電通京都支局の村山千代を通じ、幸一がしばしば耳にしたのが“広告の鬼”と呼ばれた吉田秀雄社長の名前である。

 吉田は幸一より17歳年長である。昭和22年(1947年)、公職追放になった前社長の後を受け、43歳の若さで電通の4代目社長に就任すると、いち早くテレビの普及に目をつけ、テレビコマーシャルを広告業界の収入源とするビジネスモデルを確立した。

 大変仕事に厳しい人物として恐れられもしたが、常に業界のリーダーたることを意識した志の高さは他の追随を許さず、その情熱と腕力で部下の気持ちを一つにし、世界最大の広告会社である電通王国を築き上げた。

 幸一が着目したのは吉田が昭和26年(1951年)に制定した「鬼十則」という行動規範である。この「鬼十則」こそ電通マンを電通マンたりえさせた精神的支柱だと見抜いた彼は、それをほとんどそのまま真似て「ファイト十則」というものを昭和32年(1957年)11月に制定した。

「ファイト十則」

1、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。

2、仕事とは先手先手と働きかけて行くことで、受身でやるものではない。

3、仕事に大小を考えるな、常に全力をたたきこめ。

4、難しく思う仕事は進んで狙え、そしてこれを成し遂げる所に進歩がある。

5、摩擦を恐れるな、切磋琢磨せよ、人間は惰性に流され易い。

6、周囲を引き摺り廻せ、引き摺るのと引き摺られるのとでは、永い間に天地のひらきが出来る。

7、計画を持て、長期の計画を持って居れば、忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生まれる。

8、自信を持て、自信がないから、君の仕事には迫力も粘りもそして厚味すらないのだ。

9、頭は常にフル回転、八方に気を配って一分の隙もあってはならぬ、サービスとは、そのようなものだ。

10、賢愚は他人の領分、威張っても値打に変りはない、只実行だ、でないと君は卑屈未練になる。

 これはほとんどすべて吉田の「鬼十則」をそのままコピペしたものである。いいものはいいとして取り込む遠慮のない図太さが幸一の強みだろう。彼の場合、

「あれは真似じゃないか」

 という後ろ指に耐えるだけの、自信というか厚かましさのようなものが備わっていた。