掛け軸に茶会のテーマ
客への思いが込められる

 茶道のメインはお茶であることはいうまでもないが、その正式なもてなしである茶事について、日本人でも知るひとは多くない。茶事の主目的は濃茶(こいちゃ)を通じて亭主と客が心を通わせることである。流れとしては、釜の湯を沸かすために炭を入れ、湯が沸くまでの間に懐石を食し、濃茶の後に薄茶を味わうまででひと通りとなる。

茶事の懐石は一文字に切った煮えばなのごはん、汁、向付から始まる。この後、煮物椀、焼物が出るところまでで一汁三菜となる

 懐石を供しつつ、宇田川さんが諸々解説してくれる。最初に茶室の説明から。日本間には場所によって格があり、それに応じたデザインが施されていること。そして、掛け軸について。

「西洋のようにひとつの絵を飾ったままというのではなく、茶事ではその日の正客のために選んだものを床の間に掛けます。今回は夜明けを意味するドーンやゴーストなど形のないものの名前がつけられることが多いロールス・ロイスにちなんで、形のない美しさを茶事のテーマとしました。今日の軸は江戸初期、後西天皇の和歌懐紙で月が美しい秋を詠んだものです」

 こちら、なんと旧国宝である重要美術品。「本物?」「日本人は誰でも掛け軸の文字が読めるの?」など、矢継ぎ早に質問が投げかけられる。鱧と松茸の煮物椀が出たところで、感嘆の声が上がる。西洋料理とは異なる、淡い味付け。ふたを開けた瞬間の香り。日本料理ならではの儚いおいしさが、外国人ゲストに伝わったのだ。

「音楽もない、他のお客さんもいない静かで薄暗い茶室の中だから、繊細な味に集中してもらえたのだと思います」とミッチェルさん。

 いつしか宇田川さんの手には銚子が。客に酒を注ぎ、自分も返杯を受ける。茶事でいう「千鳥の盃」である。酒を酌み交わすことで、互いに心が打ち解けていく。一方的にサーブされるだけでなく、差しつ差されつ。日本式のもてなしで場がなごんでいく。

主客が盃を交わす際に供される「八寸」は、海の肴と山の肴を盛り合わせるのが決まりごと。この日はからすみと松葉に刺した銀杏。ほどよい塩味でいっそう、酒が進む

 懐石の最後を締めくくるのは湯漬け。禅の精神をもつ茶道では、米ひと粒も残さぬよう、最後に器をたくあんで拭う。その作法も大いに受けた。主菓子を食べ終わると茶事のメインイベント、濃茶がいよいよ始まる。

 しゃべって、笑って、驚いて。ここまで盛り上がってきた。「茶事はけっして堅苦しいものではなく、楽しい」ことをもっともっと知ってほしい。宇田川さんのもてなしには、そんな思いも込められている。ゲストが言われたことは二点だけ。第一に「リラックスしてください」。もうひとつは「濃茶は静寂の中で堪能するもの。点前中は無言でお願いします」。

茶事では濃茶が最大のクライマックスとなる

 真昼というのに薄暗い部屋に静寂が満ちる。釜が沸く音、柄杓(ひしゃく)で湯をすくう音、茶筅(ちゃせん)を振る音。すべての音が一碗に集中していく。あたりに馥郁たる香りが立ち、エトヴェシュさんの前に古い高麗茶碗で練られた濃茶が置かれる。恭しく茶碗を手に取り、一服。

格調高い高麗茶碗に練られた濃茶。ひとつの碗にて、正客より順に飲み回す

 濃茶は一般的によく知られる薄茶と異なり、ドロッと重たい。多くの日本人にとっても未知の飲物である。さあ、正客の反応は?