90歳を超えてなお、仕事の依頼は引きも切らず、友人・知人の輪は世界中に広がっている――これはP.F.ドラッカーの晩年の姿である。ドラッカーはなぜ、これほどまでに充実した人生を送れたのか。これまでドラッカーに多くのインタビューを行い、最近『ドラッカーに学ぶ自分の可能性を最大限に引き出す方法』(日本語版)を上梓したジャーナリスト、ブルース・ローゼンステイン氏に、知られざるドラッカーの秘密を聞いた。(インタビュー/翻訳者・井坂康志)
92歳の基調講演に感激
人生に処する方法を教えてくれた先生
――あなたにとって、ドラッカーはどんな人でしたか。
ロールモデルでした。自ら最良のものを引き出すのにたゆみなく、同時に世界の人々に深い感化を与えた人でした。「知識労働者」の語を最初に使った人としても知られていますが、ご本人が知識労働者の最高のお手本でした。何にでも関心を持ち、その知識が相互に連関しつつ、同時に人生のあらゆる領域に適用され成果をあげてこられました。
新聞社で仕事を始めたばかりの頃から、僕にとって人生に処する方法を教えてくれるありがたい先生でした。
――ドラッカーに会いに行こうと思った最初のきっかけは何でしたか。
最初にインタビューしたのが2002年のロサンゼルスでした。当時勤務していた『USAトゥデイ』の特集記事のためでした。事前にFAXで質問を送っておき、それに答えていただく形で話を聞かせていただきました。
実はその日は僕の関係する全米専門図書館協会の年次総会の前日で、翌朝ドラッカーさんにはそこで基調講演をしていただく予定になっていました。全米専門図書館協会とは産業界を中心に設立された団体で、創立は1909年、ドラッカーさんの生年と同じです。
初インタビューでは4時間ほど話を伺いました。同じホテルに宿を取っていたので、最初は部屋にお邪魔し、その後日本食レストランに場を移したのを覚えています。柔の中に剛を秘めたドラッカーさんの姿勢に感銘を受けました。一つひとつゆったり間をとりながら、細かいところまで、時に広範な歴史知識を交えて、適確に僕の質問に答えてくれました。