雪の日のお百度参り

 残された家族は気が気ではない。

 母親の信は、幸一が戦地に赴いてから、毎晩、近くの御池通りにある御所八幡宮に参り、

 (自分の足や手は片方なくなってもよいから、どうぞ無事で帰って来てほしい)

 そう祈って手を合わせた。

 そのことは、後に思いもよらぬ形で実現してしまうことになるのだが……。

 出征兵士の無事を願うのに霊験あらたかだと聞き、西大路四条の春日神社にお百度を踏みに行ったりもした。不思議なもので、雪の日でも少しも寒く感じなかったという。母というものの強さであろう。

 一方幸一は、

「初年兵と日本刀は、たたけばたたくほど鍛えられる」

 という軍隊でよく言われた言葉通り、過酷な日々を過ごしていた。殴られてばかりだった。訓練中に殴られたのがもとで死んだ初年兵もいた。

 それまでの彼はあばらがすけてひょろっとした身体をしていたが、それでは軽んじられると考え、必死になって体重を増やそうとした。

 幸いにも、最初のうちは食べものに困らなかった。むしろ内地より充実していたと言っていい。まずいものだろうがお構いなしに口に入れた。飲めなかった酒も飲めるようになり、入隊時には50キロほどだった体重が半年後には64キロになった。

 〈検査では目標の六十キロを突破して、堂々たる体になってきました〉

 と、たのもしい手紙を送っている。

 別ルートでもそのことは伝わってきた。

 昭和16年(1941年)3月、信は京都新聞から、中京区出身の兵隊6名を写した写真をもらい、まるまると太っている幸一の姿を見てほっとしている。