「非日常」から「日常」へ戻ったとき、
引きこもりの人たちはどう行動するのか

 そういえば、阪神淡路大震災のとき、被災した当事者が、結構家から出てきたという話もある。

 ある当事者は、家を出たとたん、近所のおじさんに声をかけられ、瓦礫の撤去や救助を手伝った。

 震災後しばらくは、日常のシステムが壊れた瞬間だ。

 そんな「非日常」の世界では、おカネが使えない状態で、被災者は皆、平等で自由な立場。もっとも優先されるのが、人命だ。日常なら何気なく聞かれる「いま、何をしてるんですか?」とか、経歴や所属を聞かれることもない。

 だから、当事者でも近所同士、お互いに手伝える状況が生まれたのだという。

 ところが、ライフラインがすべて復旧したとたん、お互いに挨拶しなくなった。日常が帰ってきた瞬間、世知辛さを感じ、その当事者も再び引きこもったという。

 岩手県の男性は、今後、この「生かされた」運命をどう受け止めるのか。

 いまは「非日常」だから、避難所でも生活ができる。しかし、被災地に日常が戻ってきたとき、運命をきっかけに、社会に出ていこうとするのか。それとも再び引きこもっていくのかを見てみたい気がする。

 災害に遭った当事者たちが、何を感じて、どう生きていくのか。それぞれに問われている。


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