先週は稀勢の里の横綱昇進の話題で持ちきりだった。

 27日に明治神宮で行われた横綱推挙式と奉納土俵入りには、1万8000人もの観客が集まり、大歓声に包まれたという。4代続いたモンゴル人横綱も今ではファンの心をとらえているが、やはり日本出身の横綱を人々は待望していたのだろう。19年ぶりに、その望みに応えた稀勢の里に熱い視線が注がれるのは当然だ。

 稀勢の里の出身地とされる茨城県の牛久市と龍ヶ崎市も大変な盛り上がりを見せている。経歴を調べると出生地は兵庫県芦屋市で、2歳時に龍ヶ崎市へ移って幼少期を過ごし、中学2年時に隣の牛久市に転入したとある。日本相撲協会では角界入りした時に実家があった牛久市を出身地としているが、卒業した小学校と中学校がある龍ヶ崎市も「地元」であり、両市から市民栄誉賞が贈られることになった。

200年を超える大相撲の歴史
世界のスポーツでも異例の存在

 五輪メダリストなども出身地では「地元の誇り」として喝采を浴びるが、大相撲の力士はとくにその傾向が強い。呼び出しの後の場内アナウンスでも東方・西方、四股名に続いて出身地と所属部屋が紹介される。力士は出身地の人たちの期待の星として熱烈に支持される伝統があり、出身地の紹介は欠かせないことなのだ。

 なかでも最高位の横綱が出るということは、出身地の人たちにとって最高に誇らしいこと。その心理が牛久市や龍ヶ崎市をはじめ茨城県の相撲ファンをフィーバーさせたわけだ。

 では、そうした喜びを最も多く味わった地域はどこか。都道府県別の横綱輩出数をあげておこう。

 なお、その前に歴代横綱について触れておく必要がある。稀勢の里は第72代横綱であり、横綱の称号を受けた力士は72人いることになるが、初代の明石志賀之助、2代綾川五郎次、3代丸山權太左衛門までは正確な記録がなく、いわば「伝説の横綱」。生没年や事跡などがはっきり記録され横綱として公認されたのは1790年(江戸時代後期)昇進の4代谷風梶之助と5代小野川喜三郎からなのだ。

 歴代横綱に伝説の存在が含まれているのは12代横綱の陣幕久五郎が1900年に富岡八幡宮に建立した横綱力士碑の記述を相撲協会が採用しているからで、正確な記録とはいい切れない。だが、72人で見て行くことにする(余談だが、記録が残る4・5代から数えたとしても横綱の歴史は227年あることになる。これは世界の競技の中でも類を見ない長さだ。最も歴史がある競技会といわれるのは全英オープンゴルフで1860年から。大相撲の横綱記録の始まりはそれより70年も早いのだ。大相撲は日本国内限定の競技だし運営形態なども変化しているが、これだけの長きに渡り記録が受け継がれているすごいことだ)。