身請けした芸妓とのその後

 病弱だった、あの舞妓さんと幸一のその後についてである。

 欧米視察から帰った昭和31年(1956年)9月、女将から幸一に会いたいとの連絡があった。会ってみるといきなり、女将の口からこんな言葉が飛び出した。

「例の子のマンション代と名取料、わてが立て替えさせてもらいました」

 最初は何のことかわからなかったが、よくよく話を聞いてみるとこういうことだった。

 彼の渡航中、彼女は置屋を出ることとなって住むところが必要となった上、踊りの名取になるための費用が必要となった。そこにたまたま身請けしたいという人物が現れたのだ。

 本来なら渡りに船だが、彼女を幸一がひいきにしていることを知っている女将からすれば、留守中に旦那ができたのでは申し訳ない。気を利かせた彼女は、代わって約100万円もの大金を立て替えたというわけだ。

 京都のお茶屋は“一見さんお断り”という言葉でも知られるように、お金を払えば遊べるというものではない。どこかのお茶屋に口座を設けているご贔屓筋の旦那衆に連れて行ってもらうほかないのだ。

 自分で“旦那衆”に加わろうと思うと、誰かの紹介が必要だ。お茶屋のシステムはすべてこの“紹介”で成り立っている。

 品格のない人間を紹介すると自分の信用にかかわるから、紹介する方もおのずと相手を選ぶことになる。

 旦那衆の紹介は社会的信用につながると同時に、京都という町に受入れられたことを意味する。お茶屋はただ単に遊び人が出入りする飲みの場ではなく、欧米のジェントルマンズクラブに匹敵する“大人の社交場”なのだ。

 口座を開くと、お茶屋はホテルのコンシュルジュのような仕事をしてくれる。

 花見をしたい、紅葉狩りをしたいと言えば、場所の手配から、食事の世話、一緒についていく舞妓さんや芸者から、車の手配にお土産の手配、必要なものはすべて手はずを整えてくれる。細かく指示せずとも最高のおもてなしを用意してくれるわけだ。

 その都度支払いをする者などいない。すべては年1回払いの“ツケ”である。個別の明細などない。請求が来た額を黙って払うだけである。