では、よりよく準備をする人間はどういう人でしょうか。私は、決して豪胆な人ではなく、常に、ヒリヒリするくらいの恐怖感を感じている人です。焦燥感があり、切迫感がある。人はそうなると、完璧主義を求めます。だから、十分な準備をするのです。

 プロも、習い性になったら終わりです。遅かれ早かれ、その人のパフォーマンスは落ちてしまいます。なぜなら、緊張もせず、ただ鈍感になり、準備も怠るようになるからです。

 実は私はテレビに出始めた時に、リハーサルが嫌で嫌で仕方がありませんでした。鈍感だったからではなく、恥ずかしいからでした。撮影本番はハイテンションになっていて、アドレナリンが出ているので、たとえば大声を出すのも恥ずかしくはありませんが、リハーサルは違いました。いかにも中途半端な緊張感の中で、真剣にやるのが恥ずかしかったのです。

 講演などの舞台の場合はリハーサルも問題ありません。なぜなら観客がいないからです。しかし、テレビの場合はその場に観客がいないだけで、目の前の撮影風景はカメラマンやディレクター、プロデューサーや照明……多くの関係者がひしめいています。

 小学生の時に味わった、ある手痛い経験から、私は準備の必要性を十分わかっていましたし、50回以上行っている結婚式の司会でも、私は京大式カードに自分が言うべき言葉をすべて書き込んで準備していました。講演に際しても、原稿をしっかりと書き、何回も練習をして、暗記して、本番では読まないでできるようになる。そこまでしっかりと準備をしていました。

 それでも、テレビのリハーサルは苦手だったのです。初めてNHKでメインキャスターを務めた時に、そんな中途半端な気持ち、態度が一瞬にして打ち砕かれました。コメンテーターの場合は練習をしなくても大丈夫なのです。むしろ練習し過ぎると型にはまってしまいます。しかしメインキャスターとなるとそうはいきません。仕切らないといけないので、現場で何が起こっても冷静に対応できるような準備が必要です。

 ところがリハーサルではやっぱり恥ずかしさのほうが勝っていて、現場対応に身が入らず、「というようなことで」という言い方をしてしまったのです。すかさずプロデューサーから「ちゃんとやりましょう!」という声が飛んできました。その声には怒気と「あなたはプロなのだから」という思いがこもっていて、刺すようなものを感じ、本当に申し訳ないと思いました。