拙著、『知性を磨く』(光文社新書)では、21世紀には、「思想」「ビジョン」「志」「戦略」「戦術」「技術」「人間力」という7つのレベルの知性を垂直統合した人材が、「21世紀の変革リーダー」として活躍することを述べた。
この第8回の講義では、「技術」に焦点を当て、拙著、『人は、誰もが「多重人格」 − 誰も語らなかった「才能開花の技法」』(光文社新書)において述べたテーマを取り上げよう。

「我々は、誰もが「多重人格」

 今回のテーマは、

なぜ、一流のプロフェッショナルは「多重人格」なのか?

 このテーマについて語ろう。

 世の中を見渡すならば、一流のプロフェッショナルは、それを自覚している、していないにかかわらず、例外なく「多重人格」であることに気がつくだろう。すなわち、一流のプロフェッショナルは、自分の中に「様々な人格」を持ち、仕事において置かれた状況や場面に応じて、「適切な人格」を前に出して対処している。

 しかし、こう述べると、「多重人格とは、精神の病のことではないのか?」と誤解をする読者がいると思われるので、一言、説明をしておこう。

 実は、「多重人格」という言葉は、決して「精神の病」を表す言葉ではない。正確に言えば、「多重人格障害」という言葉は、精神病理学などでは、「精神の病」を表す言葉であり、ある人物の中に「複数の人格」があり、一つの人格が表に出ているとき、別の人格の存在に気がつかない状態や、その別の人格が自分であることに気がつかない状態は、「多重人格障害」と呼ばれ、「精神の病」とされている。

 例えば、映画『レイジング・ケイン』では、そうした精神病理の人物を描いている。この主人公は、ある人格で殺人を犯した後、元の人格に戻ると、自分が殺人を犯したということを覚えていない。

 同様に、ダニエル・キイスのノンフィクション小説『24人のビリー・ミリガン』も、そうした人物を描いている。これも、一人の人物の中に「複数の人格」があり、そのうちの一つの人格が犯罪を行っても、他の人格のときには、犯罪人格のときに何を行ったかを全く記憶していないという「精神の病」である。

 しかし、ここで筆者が述べる「多重人格」とは、そうした「精神の病」のことではない。実は、我々健全な人間の中にも、必ず、「様々な人格」が存在しており、我々は、無意識的にも、意識的にも、それらの「複数の人格」を、生活や仕事の場面や状況に合わせて、使い分けている。

 例えば、世の中を見渡せば、会社では辣腕の課長、家に帰れば子煩悩な父親、実家に戻れば母親に甘える三男坊、といった異なった姿を示す人物は決して珍しくない。同様に、我々は、誰もが、自分の中に「複数の人格」を持っており、仕事のときと、私生活のときに、違った人格が出てくることは、むしろ、普通のことである。

 そして、世の中で、「仕事のできる人」と評される人は、自分の中に「様々な人格」があり、意識的、無意識的を問わず、置かれた状況や場面に、どの人格で処するかを、瞬間的に判断し、瞬時に人格の切り替えをしている。

 一つ、分かりやすい例を挙げよう。