脱税の道具は、妻名義の休眠口座だった

 東京国税局に採用後、税務署で4年間の調査経験を積んだところでマルサに招集され、足かけ20年をそこで過ごした上田は、たくさんの仮名預金や借名預金を見てきた。

 銀行が窓口で本人確認を行うようになってから仮名預金は激減したが、それでも、様々な手を使って仮名預金が作られていた。一時期、流行ったのは国民健康保険証の偽造だ。パソコンが普及した結果、色つきの厚紙を使えば一昔前の保険証なら簡単に偽造ができた。

 実際に銀行で調査をしていると、不審な口座の新規開設に使われた本人確認書類が、偽造保険証であったことが何度もあり、発行された保険証の記号・番号を調べていくと実際には採番されていない偽の保険証だったケースがたくさんあった。マルサでは偽造番号を整理して偽造保険証を見破ることができるようにしていたのだ。

 妻の旧姓の口座も安易に脱税に使用されることがある。税務署にばれないと思っているらしいが、旧姓の口座などは、戸籍謄本から追えば直ぐに誰の使用している口座か判明してしまう。今回の内科医Hが使った脱税の道具は、妻名義の休眠口座だった。

 特別調査部門のキャビネに棚卸事案となっている内科医Hがあった。棚卸事案とは調査選定したものの調査に踏み込むだけの端緒資料も無く、着手に踏み切れずに数年間放置されてしまった事案のことだ。H医師は5年間も調査着手されずに、毎年、翌年に繰越され続けてきた事案だった。

 H医師の申告状況は売上金額が2億円を超え、特別控除前の所得(利益)は6000万円を超えていた。事業専従者である妻も医師免許を取得して夫婦2人で診療をしており、妻の事業専従者給与額は年間3000万円にも及んでいた。

 H医師の調査カードに一枚の資料が入っていた。調査カードとは、調査選定した事案の決算書や資料を入れておくカードのことだ。個人課税で使っている調査カードは、オレンジ色の厚紙に印刷され、5年間の申告状況の推移が一覧で確認できるものだった。