グラミー賞をとった自分より、予備校に2年間通った自分に賞をあげたい

――でも、すごいですよね。初めは「現実逃避」だった夢を「現実」のものにしたわけですから。その第一歩はどのようなものだったんですか?

デヴィッド・ボウイの音源は、なぜ音程が外れているのか?SADAHARU YAGI(やぎ・さだはる)/福岡県北九州市生まれ。幼少時から音楽教室に通い、10代からドラマーとしてバンド活動。「素晴らしい音楽が生まれる瞬間に立ち会いたい」とレコーディングエンジニアを志し、九州大学音響設計学科(旧・九州芸術工科大学)に入学。卒業後、渡米。UCLAエクステンションで「音楽づくり」を学んだのち、レコーディングスタジオにインターン。それをきっかけに、ポピュラー音楽の本場ハリウッドでエンジニア・プロデューサーとしてキャリアを積む。2013年にドラコ・ロサのアルバム「VIDA」でラテン・グラミー賞の「アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞。2014年には、同アルバムで、世界で最も権威ある音楽賞であるグラミー賞を「ベスト・ラテン・ポップ・アルバム」部門で受賞。現在もLAを拠点に活動しながら、アメリカのみならず、日本、イギリス、オーストリアなどのミュージシャンのプロデュースを手掛けている。Photo by Kristina Sado

ヤギ まず、実際に音楽の現場で働いている人に話を聞こうと思いました。当時まだ新しい技術だったインターネットを使い、東京に住むレコーディングエンジニアの方のサイトを見つけて、その方にメールを出したんです。「レコーディングエンジニアになるにはどうしたらいいですか?」と。笑っちゃうくらい、直球でしょ?(笑)

 するとその方、すごく優しくお返事をくださったんですよ。お忙しい中で、見ず知らずの若造が不躾に送ったメールなんて無視してもいいはずなのに、「ヤギさんのお住まいは福岡ですよね。九州なら、九州芸術工科大学(現・九州大学)で音響工学の勉強ができますよ」と丁寧に教えてくださったんです。

――いいお話ですね。そのメールがなかったら、いまのヤギさんはなかったかもしれないんですからね……。

ヤギ はい。もう本当に、この情報がすべてでした。「じゃあ、その大学に行こう」と。でも成績はクラスでワースト3になったりすることもありましたから、とてもではないが現役ではムリ。だから「浪人したい。予備校に行きたい」と親を説得するところからスタートですよね。

――結果はどうでしたか?

ヤギ 1年目はダメ。結局、予備校に2年間通って、なんとか合格しました。

――2年間、苦しかったですよね?

ヤギ そりゃ、もう苦しかったですね。それまで、全然勉強してなかったわけですからね。だから、僕にとってはもう、グラミー賞をとったことよりも何よりも、高校では遅刻常習者だった僕が予備校に2年間無遅刻無欠席で通い続けたことに賞をあげたい。まるで壊れた機械が直ったみたい(笑)。

――おお、グラミー賞よりすごい!?(笑)

ヤギ ええ、というのも、「志望校の合格」以外にも大きなものを得たからです。

――それは何ですか?

ヤギ 「自分って、努力が嫌いな人間じゃないんだな」と発見したことです。それまではずっと、「怠け者」とか「努力を知らない」とか周りから言われてきて、自分でもそう思っていたんですけど、実際はそうじゃなかった。

 自分は、自発的に興味を持ってやりたいことを見つけて、それを叶えるためだったらどんなことがあってもやる人間なんだ、自分で決めたことは実行する人間なんだと知りました。「努力」自体が嫌いな人間じゃなかったんですね。「興味が起きないことはやる気にならない」というだけで……。

――それは大きな発見ですね。

ヤギ ええ、そう思えたことが、深いところで自信になったと思います。己を知ることができたと思うんです。

楽しかった大学時代。「居心地のよさ」に不安を覚え、渡米

――なるほど。そうして晴れて大学に入学して、大学生活はどうでしたか?

ヤギ 楽しかったですね。大学では多くのことを学びました。高校のときと打って変わって、人間関係で摩擦が起こることも減り、孤独感を感じることもなくなっていきました。

 でもその一方で、自分が生きる原動力になっていた夢が薄らいでいくのが、自分でもわかっていました。目の前の居心地のよさと反比例して、自分が思い描いていた夢が薄れていく。だんだん、それが恐くなってきました。

 だから「卒業したらアメリカに行く」と周りに宣言して自分を追い込み、実際に卒業後、単身渡米しました。