「何が本質か」が見えているか

――でもこれは、非常に難しい判断ですよね。心に響くかどうかは、人次第。「正解」のない世界ではないですか?

ヤギ その通りです。はっきり言って、修正するほうが無難なんです。音程が合ってるかどうかは客観的な「正解」がありますからね。悩む必要がない。それに、その「正解」に合わせるのは技術的には簡単です。しかも、そうしておけば、「間違いを残したまま、指摘も修正もせずに世に出すこのスタッフはなんなんだ」という批判を避けることができるわけです。

 だけど、そうやって修正して、無難に無難に、きれいにきれいにやっていく音楽に何の意味があるのか。それならば、そもそも全部コンピュータでつくってしまえばいいじゃないか。人間がつくる必要はないという話にもなる。

 たとえが適切かどうかはわかりませんが、整形をしまくって顔が不自然で原型をとどめていない女優さんがいたとしたら、どう思いますか? 目尻のしわをボトックスでなくし、コンプレックスだった薄い唇を厚くし、ほうれい線を消す……。いくらそんな努力をしても、「本物な美」は生まれない。そこにあるのは「不自然な人工物」です。それよりも、心からの笑顔を見せてくれたほうがよっぽど美しいのではないですか?

――たしかに、そうかもしれませんね。整形しまくった音楽を聞きたいとは、思わない。

ヤギ ですよね?

 では、なぜ、本物の鮮明な質感を殺してまで「不自然な人工物」をつくろうとするのか。それは本人も「どこがゴールなのか」がわかっていないからです。言い換えれば、本質が見えていないからです。

 音楽に限らず、今はデジタルでいくらでも加工ができる時代になりました。便利といえば便利。だけど、仕事は余計に難しくなったのではないでしょうか? なぜなら、デジタルの世界は、自分の中に確固たる「ゴール」を持っていないと、いつまでも際限なく修正できてしまうからです。そして、気が付いたら、誰の心にも響かないような「不自然な人工物」ばかりになってしまう。

 音楽のゴールが聞き手の心に響くことだとすれば、重要なのは「音」がずれてるかずれてないかではない。そして、心に響くかどうかは、結局のところ、作り手が自分で判断するほかないんです。

 これができないと、ゴールが「間違いのないこと」になってしまう。そして、テクノロジーを使えば、それは簡単にできてしまう。だけど、それはもはや音楽でも何でもない。ただ「外れていない」というだけの、単なる音なんです。

――ということは、「優れた音楽」をつくるためには、「ゴール」を自分で決める強さが必要だということですね?

ヤギ そう思います。

 ただし、誤解してほしくないのですが、僕は技術を駆使して「人工的な美」を生み出そうとする作品は好きなんです。古くはテクノ・ミュージックがそうですね。テクノ・ミュージックは極めて人工的な音楽ですが、人の心を打つ優れた楽曲はたくさんあります。僕が問題にしているのは、そうした意図をもたず、ただただ「間違いのない」ようにするために音を修正することです。

 だから、不確実なものに魂を注ぎ込んでいるんだという思いで仕事をしているか? 「自分たちがやっていることには、初めから答えなんかないんだ」という覚悟がどれだけできているか? 僕はいつもそう自問しています。

 覚悟ができていないと「正解」にすがりたくなるからです。だから音程が外れている部分を直す。そして「間違いのないもの」をつくり上げる。一般論に合わせる。でもその結果、アーティスト(素材)の味を殺してしまっている。

(第2回〔3月25日公開予定〕に続く)