東日本を不幸な大震災が襲い、福島第一原子力発電所に事故が起こった。原発事故に関連して、主に東日本の多くの国民が悩むのは、誰が発信するどのような情報なら信じてもいいのか、という問題だ。

 たとえば、東京は住み続けていて安全なのか、飲料水は親が飲んでも子どもが飲んでも安全なのか、あるいは、野菜や魚のような食材は安全なのか──。

 理想としては、各種の情報の科学的根拠を確認して自分で判断を下したい。しかし、専門家とされる人の意見が、「安全」と「危険」に分かれることが珍しくないなか、素人が安全性を判断することは困難だ。また、そもそも、専門家にもわからない問題もある。

 これは、投資家が、投資対象企業の分析やマクロ経済の先行きに関する予測を自力で行おうとする状況と似ている。十分な情報の入手自体が容易ではないし、専門家の予測が信頼できるわけでもない。

 専門家の意見の信頼性に関しては、投資の場合、アナリストやエコノミストの判断がはずれることに投資家は慣れている。一方、原発の問題は、専門家の意見が「はずれました」では許せないと思う人が多い。ただし、「はずれは困る」と専門家を脅しても、より的確な意見が得られるわけではない。

 政府は風評被害なども含めて問題の短期的影響を小さく収めたい利害を持つし、原子力専門家の一部は、原子力発電関係の公職やビジネスから収入を得ているので原子力の普及にとってネガティブな影響を与える情報を出しにくい利害を抱える。こうした場合に、彼らが、嘘をつかないまでも、不都合な情報を積極的に開示していないのではないか、という推定には一定の妥当性がある。

 保険の代理店手数料や、銀行・証券会社などのセミナーや講演の講師が有力な収入源になっているファイナンシャルプランナーは、素人にもわかるような嘘はつかないだろうが、自分のスポンサー筋のビジネスにとって不都合な意見や情報を積極的に発信しない場合があるだろう。情報の信頼性を判断するに当たって、情報発信者の利害関係を知ることは重要だ。