中学の歴史教科書で「聖徳太子」の表記を「厩戸王」に変更しようという議論は、振り出しに戻った。なぜ歴史教科書では、時々不思議な改定が行われるのか

「聖徳太子」「鎖国」危機一髪?
中学校学習指導要領改定案の波紋

 歴史教科書に出てくる「聖徳太子」の表記を「厩戸王(うまやどのおう)」へ変更しようという動きが出ていると報道され、驚いた人は少なくないだろう。この議論は結局ストップされ、表記は元通りの「聖徳太子」に落ち着いたようだ。同様になくなる予定だった「鎖国」という表記も、幕末の「開国」の意味がわかりにくくなることから、今後も使われることになった。これらの議論は、今月末に決定する中学校の次期学習指導要領改定案においてなされたものだ。

 歴史の研究においては、新しい史料が発見されることによって定説が覆ることは少なくない。だから歴史教科書も内容が変化するのだが、我々おじさん世代から見ると、今の歴史教科書には「えっ」と驚くくらい表記が変わっているところがある。

 私はテレビのクイズ番組に出演させていただき、教科書クイズに答える機会が多いが、そんな自分でもたまに驚くことがある。今回は、昔と今とで歴史教科書の内容がどう変わっているのか、典型的な例をご紹介しよう。

(1)大化の改新は646年である

「大化の改新、虫殺し(645年)」、今振り返ってみると物騒な年号の覚え方だが、私の世代は小学生当時、こうやって大化の改新の年号を覚えたものだ。大化の改新は古代史の転換点となる中大兄皇子と中臣鎌足によるクーデター事件だが、現在ではこの年に起きた出来事は「乙巳の変(いっしのへん)」だと教えられている。

 そのクーデターによって立場が強固になった孝徳天皇が改新の詔を出した年が646年で、こちらの出来事のことを現在では「大化の改新」と呼ぶのである。

 うーん。一般人としては「学者がそう呼びたいのはわかるけど」という感想を口にしたくなる微妙な裁定にも見える。それまでは「クーデターが起きて政権が代わって新しい政策が打ち出された」という一連の事件を「大化の改新」と教えていたが、より正確に暗殺によるクーデターは「乙巳の変」で新政策は「大化の改新」と教えることになったというわけか。

(2)鎌倉幕府ができたのは1185年である

 これもゴロ合わせの年号の覚え方が、「いいくにつくろう」から「いいはこつくろう」に変わったというケースである。1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年なのだが、鎌倉幕府が実質的に権力を握って、軍事や行政を担う守護や徴税を行う地頭を任命するようになったのは、それよりも早い1185年だということがはっきりしたので、今ではその実質に合わせて1185年が鎌倉幕府が開かれた年だとされているのだという。