江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
衝撃的なタイトル『三流の維新 一流の江戸――「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』が話題の著者に、「歪められたペリー来航問題」を語ってもらおう。
歪められた歴史事実
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など
また、寛政九(1797)年以降、長崎出島へアメリカの交易船が来航した回数は少なくとも十三回確認されており、ペリーの来航によって日本人が初めてアメリカ人と接触したかのような歴史教育は歴史事実とは異なるのだ。
更に、弘化二(1845)年には日本人漂流民を救助したアメリカ捕鯨船マンハッタン号が浦賀に入港し、浦賀奉行と対面しており、翌弘化三(1846)年には、アメリカ軍艦二艦が浦賀に来航し、通商を求めたが、幕府はこれを拒否している。
これらは、よく知られた歴史事実である。
つまり、薩長政権が成立するまでのおよそ四半世紀の間、江戸幕府はオランダ以外の列強、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、プロシアを相手としてそれなりに外交経験を積んでいたのだ。
ペリーの黒船が来航して、初めて見るアメリカ人や軍艦に右往左往し、それによって生まれた混乱に乗じた倒幕運動によって幕府が一挙に崩壊し、薩長政権が初めて欧米とわたり合うようになったなどという歴史は存在しないのである。