次は、筆者が経験した忖度を紹介する。炎上を避けるため具体的な記述は避けるが、ある申請手続きに関して、問い合わせをしたときのことである。その際、担当者は「お問い合わせいただいた件ですが、残念ながら申請をお受けすることはできません。そう答えるのが窓口でのマニュアルなんです」との回答を筆者に返した。

 筆者が問い合わせた内容は、決して違法性が高いものでも、倫理的に問題があるものでもない。ところが、様々な事情から規則によってそれを行うことができないのだ。正直、規則の弊害というか、不便極まりないルールになっていることに憤りを感じた。

 しかし、よくよく考えてみると担当者は「そう答えるのが、窓口でのマニュアルなんです」とも言った。つまり、担当者の言葉を忖度するならば、「質問されてしまった以上はそう答えるしかありませんが、後日しらばっくれて申請してくるぶんには、私どもの預かり知るところではございません」という意味だとも理解できるのである。

 おそらく、担当者も規則の不便さを常々実感しているのだと思う。ただ、表立って「やっていいですよ」とは言えない。質問されてしまった以上は、駄目だとしか言えないが、「そこは忖度してくれ」ということなのだろう。「みなまで言うな、察してくれ」ということだ。なんとも日本人らしい、高度に空気を読んだコミュニケーションである。

部下は上司の意向を察して働くもの
社会人は「忖度」をトレーニングする?

 また、ある30代の男性はこんな経験を語ってくれた。

 男性が新入社員のときに、教育係になった上司から、「俺は細かい指示を出さない。しかし、俺がどういうことをお前に求めているのかを常に推測し、行動するようにしろ。それが社会人として一人前になるために必要なことだ」と指導されたというのである。

 つまり、これは「忖度のトレーニング」だったのだと男性は今になって振り返る。具体的な指示がなくても、上司の気持ちを汲み取って仕事をする。実際に中間管理職的な立場になった現在では、当時の「忖度のトレーニング」が役に立っているという。

 この場合、忖度は「上司や組織の意向を推察し、適切に行動する」「空気を読む」といった意味合いで使われている。どちらも社会人にとって必須のスキルであると言えるだろう。そう考えると、忖度を単純に「悪者」であると断ずることはできなそうだ。