『週刊ダイヤモンド』4月1日号の第一特集は「美術とおカネ アートの裏側全部見せます。」。およそ80ページにも及ぶ大特集では、お金の流れから作家の生活、歴史から鑑賞術まで全てを網羅した。ここでは、アートが好きな経営者や学者、画家や写真家など特集で取材した“美の達人”たちのインタビューをお届けしたい。今回は、新進気鋭の写真家・石塚元太良氏だ。(『週刊ダイヤモンド』委嘱記者 森川幹人)

――若いころから、写真一本で食べてきたのですか?

 29歳ぐらいまでは食べられなかったですね。中途半端な商業写真の仕事をして満足したくなかったので、肉体労働をしてました。土方とか、バイク便とか、ビルの窓拭きとかです。23歳の時にはエプソンカラーイメージングコンテスト大賞を、26歳の時には日本写真家協会新人賞を獲って、写真の収入もありました。でも基本的には、肉体労働をして稼いだお金を貯め、海外で作品を撮っていました。

――雑誌や広告の撮影はしなかったのですか?

 雑誌の仕事を一番多くやっていたのは、30代最初のころです。表参道にある複合文化施設のスパイラルで写真展をしたことがきっかけで、いっきに仕事が増え、女優やモデルの撮影をよくしてました。たくさんの仕事をこなしてたら、依頼はどんどん増えました。ただ、このまま東京にいたら消費されると思って、鎌倉へ引っ越したんです。それをきっかけに芸能人を撮る仕事をやめました。31、32歳の時です。

――海外に滞在しながらの作品制作も行っていますね?

 34、35歳ぐらいの時、文化庁の在外芸術家派遣で米国に1年間、ポーラ美術振興財団の助成でアイスランドに半年間滞在しました。この1年半で作品をきちんと撮れるようになったと思います。助成してもらったお金を、装備代、フィルム代、衣食住費に充てられました。全て作品作りに投資できる環境は、とても大きかったです。その時期にバイテン(8×10)と呼ばれる大判フィルムの撮影も始めて、作品の幅が広がったと思います。