
「歌手」や「ダンサー」として働く名目で、1980年代から2000年代前半に多く来日したフィリピン人女性たち。実際にはセックスワーカーとして働かざるを得ない過酷な労働環境に耐える彼女たちは、日本で幸せを掴もうと躍起になる。だが、ようやく到来したゲームチェンジのチャンスには、大きな罠がひそんでいた……。※本稿は、石井光太『血と反抗 日本の移民社会ダークサイド』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
全盛期には年間8万人の
フィリピン人女性が来日
1980年から興行ビザでの渡航が実質的に規制される2005年までの間に、100万人以上のフィリピン人女性がエンターテイナーとして来日したとされている。全盛期には年間8万人にも達した。
こうしたフィリピン人女性たちは、名目上は日本の飲食店でプロの「歌手」や「ダンサー」として働くことになっていた。それが興行ビザの定義であり、来日する前にプロダクションからもそう説明されていた。
だが、レストランなど一般的な店で働けるのは一部で、多くの女性たちが歓楽街の外国人パブに派遣され、ステージの上で原色のライトを浴びて下着や水着を着せられて踊らされるだけでなく、ホステスとしての接客も兼務させられていた。
そもそも当時のフィリピンパブは今よりずっとダークなビジネスであり、暴力団が関与していたり、経営者自身が組員ということも珍しくなかった。そのため、店によってはコンプライアンスなどないも同然だったのだ。
特に、不法就労のフィリピン人女性を積極的に雇う店にこの傾向は強かった。フィリピン人女性の中には、興行ビザを取得できずに、悪質なプロダクションやブローカーを通して違法なルートで来日する者もいた。そうした女性たちの受け皿となっていたのが、風俗、ストリップ、SMといった看板を掲げている店だった。