1988年に誕生し、会員制食品宅配事業の草分け的存在としてオーガニック市場を開拓してきた「らでぃっしゅぼーや」。2012年からはNTTドコモの子会社となり、2014年に就任した国枝社長は社内改革に着手した。10人以上の出向者を戻すだけでなく、畑違いの携帯キャリア経営の現場で採った手法も取り入れる。その発想について聞いた。(聞き手/多田洋祐 ビズリーチ取締役・キャリアカンパニー長)
エンジニア出身社長の「運動神経を持ったインテリジェンス」とは
多田 国枝社長はキャリアを技術者としてスタートされたと伺いました。
国枝 大学は電気・電子工学科を出て、日本電信電話公社(現在のNTT)では事業部門の技術局に入りました。研究者や博士になるクラスメートも多かったのですが、私はマネジメントに関わる分野に関心がありました。27歳でスタンフォード大学大学院へ留学した際も経営管理の勉強をしました。ただ、30代後半までは学会で論文発表もしており、研究者として大学の先生を目指すのか、あるいはNTTでマネジメント職を続けていくのか、とても迷っていました。
多田 その悩みを抱えながらも、マネジメントの道、そして後に社長としての白羽の矢が立ったのですね。どういう経験や実績があって指名されたとお考えですか。
国枝 40歳頃にワシントンDCにある世界銀行で3年間勤務した後、2003年にNTTドコモへ転籍になってからも国際担当を7年務めていました。すると、2010年に九州支社長に指名され、スマートフォンの流行と共に九州・沖縄地区の売り上げ増を図ることになりました。そこではスタンフォード大学で学んだことが役に立ちました。九州支社でのマネジメントは、大組織の長としての仕事でしたから、務めていた3年の経験が今のベースになっています。
多田 社長がマネジメントをする上で、根幹にある哲学や大事にしていることは何でしょうか。
国枝 「運動神経を持ったインテリジェンス」と言っています。私はもともとエンジニアですから、「1+1=2」になることを現場で確認したいわけです。いろんな経験をし、知識を知恵にして、それを新しい場面でもアクションにつなげることを基本にしています。
知恵は使わなければ意味がないと思っていますし、評論家にはなりたくないのです。必ず自分で試してみて、悪ければ直す。安定している環境ではアクションは不要かもしれませんが、らでぃっしゅぼーやは企業としても変化するタイミングです。変化し続ける市場環境に対応するためにも、蓄積してきたインテリジェンスをアクションにつなげなくてはいけない。その考えを実践で試せるのは面白いことですね。
多田 国枝社長のそうしたものの見方や考え方を風土として定着させるために、どのような取り組みをされましたか。
国枝 九州支社長時代にもやったことですが、まずはランチミーティングです。一度に10人くらいずつ、全社員とお弁当を食べながら、仕事や趣味の話をしました。
1回のローテーションで約3ヵ月かかりますが、初回は就任してすぐやり、2回目も1年後に行い、社員の持っている考えが少しずつわかってきました。
それから、春の事業計画発表と秋の修正計画の頃には、北海道や大阪にある物流センターの現場に出向いて事業計画策定説明やQ&Aを行い、夜に時間があればみんなと宴席の場で話す機会も設けています。私たちは「キャラバン」と呼んでいます。
多田 現場も定期的に回っているのですね。NTTドコモとらでぃっしゅぼーやではどんな違いがありますか。