今回は話を本筋に戻して、終身雇用と「モニタリング」について考えてみよう。この問題は、いまや日本企業でも広く採用されえている成果主義、あるいは個人業績目標制度とも深く関係している。

企業経営の「姿」を映す
モニタリング

 最初に、モニタリングとは何かを簡単に説明しよう。そもそも企業経営というのは、投資家からおカネを集め、そのおカネを原材料や部品、設備といった財、あるいは人件費、広告宣伝費などに「姿」を変えさせて、製品やサービスを提供して利益を生み、その一連の活動を拡大再生産させていくものである。

 そして、経営の責任を担うのが、ガバナンス(企業統治)の視点で言えば、社長に代表される経営層=取締役会だとしよう。企業組織という大きな装置が動いている中で、経営層は投資されたおカネが、いまどのような形に姿を変えて、どのように利益を生んでいるかを知る必要がある。それをモニターとか、モニタリングと呼ぶ。

 おカネがいくら入り、いくら出て行ったか。あるいは、資本と負債がいくらあって、どのように活用されているかを知るために、企業はある活動期間で「しめる」という作業、いわゆる四半期(3ヵ月)ごと、半年ごと、1年ごとに決算を行う。ただし、四半期ごとのの決算でも、その途中でどのような姿になっているかはわからない。その点では、夕方に「しめて」、翌朝には姿が分かっているというのが理想形だ。

 もちろん、ビジネスの変動がそう大きくなく、毎日のモニタリングは必要ないという業種もあるだろうが、それでも変化の速い現代において、半年あるいは年1回の決算でやっていけるというようなビジネスは存在しないだろう。だから、企業経営の中にモニタリングが、装置として備わっていないといけない。