「こども保険」では、年金保険料に上乗せする形で現役世代からコストを徴収するので、高齢者は費用負担せずに済む。しかし、子どものいない現役世代が共にコスト負担を強いられることに対する不公平感もある。

 社会保険の形を取ることに関しては、受益と負担を他のものと区別して、この場合であれば「現役世代が協力して、社会全体で子どもを育てる」といった意味づけを強調しようという意図もあるかもしれない。

 年金などの議論にあってもこの種の「意味づけ」が登場することがあるが、筆者は「お金に色は着いていない」のだから、意味づけよりもシンプルに効率性と公平性を追求すべきだと思う。「こども保険」の場合には、例えば、「こども保険管理機構」といった新組織ができて、行政が肥大化する可能性も心配だ。

 一方、消費税の増税などの恒久財源で費用を賄うべきだとする意見は、いかにも財務省的だが、保険方式と比べて、「給付と負担の関係」は曖昧になる。

 それでは一体、どの考え方が妥当なのだろうか?

抜け落ちる「タイミング」の視点
憲法を変えなくても無償化はできる

 上記の3択問題で、教育費無償化の財源を考えると、大事な視点が抜け落ちる。それは、「いつ」増税(保険料も強制的に取るのだから、実質的に増税と同じである)するのが適当なのかというタイミングの問題だ。

 もちろん、無償化のための給付を行うのだから、新たに徴収する金額が差し引きで丸ごと増税になるわけではないのだが、保険料を上げたり、増税したりした場合、教育以外の財やサービスへの需要に対しては抑制的な影響が出るだろう。