ドイツ原爆開発の謎…31歳でノーベル賞をとった天才は何を考えていたのか?Photo:PIXTA

1938年、ドイツでウランの核分裂が発見された。そこから人類は、核分裂を利用した爆弾の開発に乗り出す。ドイツの原子爆弾開発の中心にいたのは、わずか31歳でノーベル賞を受賞した天才・ヴェルナー・ハイゼンベルク。しかし彼の研究は、終始「原子炉」の臨界実験にのみ焦点を置き続けたという。彼は一体何を思い、原子爆弾の開発に乗り出さなかったのだろうか……?※本稿は、物理学者の山田克哉『原子爆弾〈新装改訂版〉核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』(講談社ブルーバックス)の一部を抜粋・編集したものです。

原子爆弾開発の
そもそもの始まり

 1938年(昭和13年)のクリスマス前、ドイツで2人の化学者がウラン原子の核が分裂を起こすことを発見した。核分裂の発見である。さらに、核分裂から放出されるエネルギーは普通の化学反応(たとえばガソリン等の燃焼反応)から放出されるエネルギーよりも桁外れに大きいことがわかった。

 そして、その後まもなく、核分裂は連鎖反応によって自らどんどん進行していくことも判明した。これは、引火性の強い物質(たとえばガソリン)の一部に火をつけただけで、あとは自動的に火の手が広がり、すべて燃え尽きるまで燃焼が続く現象に似ている。

 核分裂が連鎖反応によって進行していくということは、数多くの核が次々と分裂を起こしていくということである。たった1個の核が分裂しただけで、化学反応から放出されるエネルギーよりもはるかに大きなエネルギーが放出されるのであるから、たとえば1㎏のウラン中に含まれるすべての核が連鎖反応によって分裂を起こせば、膨大な量のエネルギーが放出されることが予想される。