中国での取材を終えた僕は、フィリピンに向かった。取材の合間をぬって、調査を続ける日々が続く。フィリピンではスターバックスをよく使っていた。周りを見渡すと、富裕層の若者がパソコンやスマートフォンを使っている。でも、そのビルの隣ではストリートチルドレンが雨水で体を洗っているのだ。この二つが併在する街に、価値観を揺さぶられるような思いをした。
  目的の社会起業家(本書第2章で登場するジェマとケビン)を訪ねるために訪れたプラワン島では、浜辺で飲んでいた若者と仲良くなり、家に遊びに行った。「廃屋」にしか見えない家屋に入れば、蛇口のない台所が目につき、どうやって使えばいいのか、すぐに頭に浮かばなかった。
  その格差には圧倒されたものの、その一方で感じたのは、たまたま出会ったフィリピン人の運転手の献身的な働きぶりに、とてつもない可能性だ。

フィリピンで出会った
最高のタクシー運転手

 取材のために訪れたフィリピン西南部のプラワン島。そこで利用した宿で、宿専属のタクシーの運転手と出会う。名はライアンという。流暢な英語を話す、20代半ばの男だ。愛想が良く、フットワークの軽い男で、妻のことをいつも嬉しそうに話していた。食事に誘ったときはその相方も連れてきたくらいだ。

辺境で出会った無数の起業家たち<br />――「底辺のクリエイティビティ」が世界を変えるライアンと妻のレスリー。食事をご馳走したら、彼らしか知らない秘密の観光地を連れてまわってくれた。

 彼が途上国ビジネスの成功事例として必ず名前の出てくるユニリーバの仕事をしていたと聞き、思わずインタビューを申し込んだ。

「どうして、そんないい仕事を辞めて運転手をやってるの?」と聞いたら、「売上げノルマが厳しいからだ」と彼は答えた。「こんな貧乏な島のどこに、生活用品ばかりをバカバカ買うニーズなんかあるんだよ」と彼は憤りながら話した。

 プラワン島最大の都市、プエルトプリンセサですら、数キロ四方の小さな「町」だ。フィリピンの本島ではないにも関わらず、生活用品市場はすでに競争過多の状態で、成果報酬で働く末端の人々がリスクを負わされているという。メーカーも流通業者も、グローバル資本とローカル資本が入り交じり、競争が激化している。

 彼の経歴を聞くと、昔はグレていたらしく、タクシーの運転手をやりながら遊んで暮らしていたと話していた。恥ずかしがって詳しく話してくれなかったけれど、どうやらこのままじゃだめだ、と思って大学の時に一念発起して勉強を始めたらしい。それ以来、タクシーの運転手をはじめ、さまざまなビジネスを手がけ、家族を養ってきたという。

 彼が話してくれた中で、最も面白かったのは、ある「密輸」の話だ。どうも、砂糖とサラダ油の「密輸」を一時期やっていたらしい。マレーシアとフィリピンを往復するのだが、関税がかからないため、その分が利益になる。タイやラオスの密輸といえば麻薬だけれど、「密輸」の正体がサラダ油かと聞いて笑いそうになった。

 しかし、彼のサービスの丁寧さは、感動的ですらあった。メールでこの場所に来てほしいと言えば、10分程度で駆けつけてくれる。そのうえ、このレストランは美味しいとか、名所はここだよとか、日本人でもないのに「空気」を読みながら、丁寧に教えてくれる。疲れているんだ、と話せば放っておいてもくれた。道の案内すらもカーナビに頼り切りになってしまった日本のタクシーと比べれば、彼にお金を払うのがどれだけ気分がよかったことか。

 取材のお礼に食事ごちそうした帰り、「交通費どうする?」と僕が払うつもりで聞いてみたら、「もちろん、いらないよ」と笑顔で返された。

 情報の格差がある状況で、相場を知らない訪問者をぼったくるのは、きわめて合理的だけれど、彼はそういうことはしなかった。むしろ、価値を提供すること、つまり自分が乗せたお客さんを喜ばすことにこだわっていたのが印象的だった。僕が今でもFacebookで彼と話したりするのはそんな理由からだ。