現実の自己と理想自己が重なり
自己そのものを超越する

 筆者は初めてこの物語を読んだときから、ずっと好きだった。だが、なぜ自分がこの話に惹かれるのかがわからなかった。

 最近、その理由がやっとわかった。それは禅が求める「自己の探求」を端的に表しているからだ。弓の名人になる、という欲望は、主人公の中ではゆるぎない。主人公は「自分はどうありたいか」を見つけている。そのため、常人にはできないような修行をやってのける。そこに苦しいとか、つらいという描写はない。

 逆に言えば、つらい、苦しい、やめたい、と思ってやめる程度では、理想自己を見つけているとはいえないのだ。例えば、はた目には、仕事三昧で社畜のように見えても、それが理想自己に至る過程だと本人が確信していれば、それは「幸せな働き方」である。超人的なスケジュールをこなすイーロン・マスクが、不幸な働き方をしている、とは誰も思わないだろう。

 ただ、禅宗では、理想自己に近づくだけでは道半ばに過ぎない。現実の自己と理想自己が重なり、その果てに自己そのものを超越することが、求められる。

「十牛図」(伝・周文筆、相国寺蔵)。左上から、1.尋牛、2.見跡、3.見牛、4.得牛、5.牧牛、6.騎牛帰家、7.忘牛存人、8.人牛倶忘、9.返本還源、10.入鄽垂手 拡大画像表示

 このことは、廓庵(かくあん)禅師が描いた「十牛図」にも記されている。十牛図は、10コマの絵で、牛飼い(現実の自己)が牛(理想自己)を見失い、見つけ、捕まえ、飼いならし、一体化し、悟り、消え、悟りを得たものとして市井に戻るさまを描いたものだ。「名人伝」は、この過程の最後の一歩手前までを描いている。

 もちろん、現実に、禅修行による自己の超越まで行く必要はない。だが、その初めの一歩、「理想自己を知る」だけでも、個人の中の働き方改革は進むはずだ。さらに瞑想をして自己と向き合うことは、それにつながるだけでなく、ストレスの低減や安眠といった実践的効果がある。1日10分でいいから試してみてはいかがだろうか。

(モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授 渡部 幹)